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【自由研究】喫茶ポイズン レポートを提出せよ!!(2010年7/25(日)まで) [国語-現代文(コラム感想文)]

夏です。

梅雨明けした地方の人もそうじゃない人も
国によっては冬の人も
夏休みですよ~!!!

 というわけで
夏休みいつも宿題は人のを写していた人も
兄弟に頼っていた人も
自由研究を雑誌の丸写しで賞を取った人も
もちろんじぶんでこつこつやりぬいた人も
夏です

そーです!

学園も夏。

Wカップもおわり

いきなりですが宿題を出します。

抜き打ちテストじゃなくてレポート提出だというところに

校長の愛を感じてくださいね。

 

詳細は『喫茶ポイズン』の7/18の記事を参照してください

http://furihatamanabu.jp/2010-07-18/nonsense-12/

《会員登録後、ログインが必要です》

念のため登校の際の周囲事項をいかにまとめます。

 *****************************************
・××の書くもの、あるいはノンフィクションもしくは文章について思うことを述べよ。
・××の書くものを何故読むのか、その理由を述べよ。
・××の書くものが何故好きなのか、その理由を述べよ。
                    (伏せ字にはいずれも私の名前が入ります)。

上記より好きなテーマを選び、リポートを書いてください。
書き方は自由。文字数も自由。(できれば1000字前後)
日本語限定。

提出先は××学園です。

期限 2010/7/25(日)23:59:59まで。

リポートは非公開
目を通すのは校長とと校長代理のKになります

この記事のコメントへ登校してください。

携帯からも登校可能です。

どうしても文字認識がうまくいかない、

登校できないという人は

keiko.arai.0811@gmail.com

へ直接メールを送信してください。

その場合時の文章と登校部分がはっきりわかるように

してくださいね!

 

またこの記事に関してはコメント開放しないので

よければmixiでトピを立てるのはありです。

みんなの登校お待ちしています。

動いた人にはアドバンテージがあるのだょ。


******
私信
******
2010/7/21 しょうたさん 了解いたしました!お待ちしてますW

***********
20107/24 追記
************
①テーマを簡単には乗せていますが
今回のレポートに関して
いろいろ名提出時の注意は本物の戯言を読んでくださいね!

抜けや、間違いがないかよく読み返してから送ってくださいー

②コメント認証が通らない!という人はメールで
keiko.arai.0811@gmail.com
ですよ!

③提出状況
本日、21:40時点で20人の生徒さんが登校しました!

メールでkeiko.arai.0811@gmail.com
に送ってくれた人にはこちらから確認メールを飛ばしてますので
確認してください。

返事のない人はメール見れてないので再送お願いします


***********
20107/25 追記
************

ayakocatさん 了解しました! お待ちしています!
048 やぎ座 さん なるほど。ちょっと先になるんですね
            念のため聞いてみますがおそらく大丈夫!まってますね

********************
2010/7/31追記
********************

みつりんごさん 大丈夫です。わかるように加工して校長へ報告しています。

さぬ吉さぁん 受付しました!


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解説;「コメントにルールは必要か?」 [国語-現代文(コラム感想文)]

おはよう、こんにちは、こんばんわ!
世界各国、受講時間にあわせてマルチに対応!校長代理のKことけえです。

皆さん、みんなで考えよう!「コメントにルールは必要か?」読みましたか?
そしてコメントをしましたか?

まだ読んでいない、コメントしていないという人は
一度戻って必ず授業を受けてからこっちを読みましょう。

 前の授業を受講する人ここをクリック→みんなで考えよう!「コメントにルールは必要か?」


************************

では、2限目は、前回の授業のあとの発表を踏まえて進めていきます。

前回の授業であたしは

>ルールは何のためにあるのか?
>誰のためにあるのか?
>どういう風に形成されるべきか?

>考えています

ということを書きました。

これに関して考えてコメントをくれた人
自分の中ではこういうルールでコメントしているよ、と言う人
ルール以前に相手のことを考えてみてるよ、という言う人
そもそもルールとは何か?について書いた人

いろいろな考えと意見がコメントに書き込まれて
もちろん、あ、足りないと気づいて2投目する人
コメント欄の意見に真摯に向き合う人

うんうん
「性格」が出てますね

分析から入る、
気持ちから入る、
周囲への気遣いから入る、
それぞれ
ひとりひとり

そう、
違うんです。

「同じです」って書く人はいない。
共感したり、いいなって思うところがあって
自分の中に見る見る増えていく気持ちを
自分の言葉で書く。
読んでいるだけで書いていない人だって
その人の感じ方で、言葉で
思いを抱いている。

そして
その言葉のどれもが正解。
いや正否の問題ではないかな。
どれもがそこに存在していい
あるべきルールなのです。

***

なぜ、あたしが
この場でコメントにルールは必要か?と言う
テーマを持ってきたのか

テーマについてNBO(日経ビジネスオンライン 以下略)上で
話しあうのはなんだか違う気がする、なんかもやもやする
なんで違うと思うのだろう?という疑問点を感じたからです。

NBOで話せば話すほど
なぜか決まりごとを作ろうとしてしまう
迎合や、反発など
解りやすいコメントに集約しがち

そして何より
なぜそういうことが起きるのかについて
突き詰めて考えていくと
コメントしている人のバックグラウンドが見えない
どんな人が書いているかも解らない
それが原因のひとつということだったのです

目に見えているもの、今までの関係性、相手に対するイメージのフレーミングが
しっかり出来あがっていない相手とのやり取りでは
一定の礼儀や、手順は必要です。

それはルールではなく、単純に常識といわせてください。
それはいまのNBOではしっかり守られているとおもうのです。

しかし、その上に成り立つルール
それについてはね、いろんな立場からいろんな角度から
みんながいう。

けえは読んでいてそれぞれに
「この人にとってはこの意見が正しいんだ」と思う。
そしてもう一歩踏み込んで
一体この人はどんな人なんだろう、
こういう意見を書いて相手が読んでどういう行動をとるか
どういう気持ちになるのかを予測して書いているのなら
きっとこういう人だし、
もしただこれが思ったそのままをぶつけているなら
もったいないなぁ、あたしだったらこう書くな、とか
一個一個読んでいて考えます。

すると、コメントの背景にその人となりが浮かんでくる
そこで、けえは話しかけてみたい、と思って
コメントレスを書くんです。
その人物像は合っていることもあるし、合ってないこともある
まぁどっちでもいいと思ってる。

だけどコメント欄は会話だから
やっぱり相手の目をみて、
相手の性格を考えて
言葉を選択してお話すれば
相手も不愉快ではないはず
いやむしろ暖かさは
文字でも伝わると思って書いているのです

以上がけえのコメントでのルール。

そして、きっとこのルールはあたしがアタシに対して
課しているルールなのです。
つまり「自分ルール」

つまり、何がいいたいのかと言うと!

前回の問いかけに対してみんながこうなのではないかな?って
書いたことは、そのままあなたがコメントをするときの
自分ルールなんですよ。

そして、それはね自分が守るべきもので
相手にも同じように自分ルールがあって
どちらも大事なんだよってこと

さらに、この場所で自分ルールを発表し、
相手の自分ルールを知ることで
自分の引き出しの中身が増える、
人によっては引き出しが増える、
そういうことなんです。

だから、いろんな意味で
みんなが前回記事にコメントするといいのになって思っていて
我慢、お返事したいけど我慢してました。

じっくり考えて
人のコメントを読んで
いろんな気持ちになったかな?
けど、こうやって自分のことを知る
そして相手のことも少しわかる
それでいい、それがいいのです。

*********************

さて、解説になってない気もしますが
みんなのことがひとつわかって
もっと知りたくなってしまったけえです。

今日の解説を読んでもう一度自分のコメントを読み返すと
面白いかもしれません。

解説に対する質問はこのページのコメントヘ!
この記事には校長代理Kのコメントバックがつきますw


みんなで考えよう「コメントにルールは必要か?」 [国語-現代文(コラム感想文)]

それでははじめての授業をはじめます
はじめてだからいろいろ慣れてなくても
許してね?なんて甘えたことは許しません。

このブログは
みんなのコメントで記事を発展させていこうと思っとります
そんなこと出来るのか?
解りません
そんなことして何か意味があるのか?
それも解りません

だって答えはみんなの心次第なんです。

心次第?

一体どういうこと?

ここからはちょっと長いですよ
心して読んでください。

****

*
あたしたちは今、毎日かなりの量の情報を得ることが可能です
テレビ、新聞、雑誌、街や電車内の広告モニター、そしてインターネット
情報の伝達までのスピード、拡販していく範囲、また影響度
そのどれもが少し前とは段違いの規模で動いています

この状況は、便利さを伴う半面、あまりよくない側面もはらんでいます。
必要なときに必要なだけ取り出せる便利な引き出しが増え
記憶や勉強する時間を別のことに割り当てることで
アイデアを実行にうつしたり、チャンスを逃さない局面もあるでしょう

しかし、情報の読み取り方、取捨選択基準、そしてその整理整頓方法によって
情報を活かしてデキルヤツへの道を一歩踏み出すことも出来れば
今までどおりのやり方では人と同じか平均以下になってしまう人も登場します
すると不公平感が出てくる、情報による格差の誕生です

格差を感じた一部の発言する人、行動する人たちは声をあげます
社会の仕組みが、法律が、団塊の世代が、バブルが(まぁいろいろありますね)と
誰かのせい、自分以外の何かのせいにしてみて安心しようとする
あいまいなものに対するストレスを抱き
それを具体的な何かに当てはめて発散する
怒りやイラつきの本当の原因までたどり着く前に
目の前に現れた対象に食って掛かり、攻撃するのです

でも今そこにたっている自分
その場所まで歩いてきたのは誰ですか?と思ってました。

**

降旗氏のコラム
みんなが書くコメントは世相を時代の気分を現状を反映している
という回を読んだときに思ったことがあります

社会や世間が敷いているルールとかお約束とか常識とか
普通とか「みんな言ってる」だとか
そういうことから
今はとっくにずれていて、もうそれぞれにばらばらなのに
まだそのひとつで縛ろうと、裁こうと、判断すること事態
変えなきゃいけないのではないか?と。

もちろんルールが必要なものだってあります
けれど、何でもかんでもルールがあればいいって事じゃない
ルールを決めて枠にはめて安心したらそれはそこで終わる
新しいことは大概において、反抗や反対や違和感から始まります

批判するために物事は存在するのではない
だけど批判からしか始まらないこともかつてあった
だけどこれだけ情報があり、
さまざまな方法でいろんな考え方を知ることが出来る今
この時代に合った否定でもなく、破壊でもない
もっと創っていく、成長していく
そういう生産的な解決が出来るのではないか
きっとそういう方法はあるはず、と思ったのです

***

たとえば、「格差社会」という言葉が定着し始めて
社会ではさまざまな問題が取りざたされています
いろんなところでいろんな人がさまざまな提案をします
いろいろな仕組みが批判されています
けどそれは結局仕組みを変えるということでしかない
仕組みを変えて枠組みを作ればまたはみ出す人が出てくる


あたしが考えている「方法」というのは
どうしたらそういう状況を変えられるか
そういうシステムで社会をよりよくしていくか
ということではありません

変えるべき、変わるべきなのは
「ひとりひとり」だと思うのです

しかも「ひとりひとり」がそれぞれに努力し
それもお互いに関わりをもち、
相手の話を聞き
集合体として情報化されることなく、
多数決やデータとしてではなく
より多くの「ひとり」を知ること
そして自分という「ひとり」を受け入れてくれる場所
または他人という「ひとり」を受け入れる場所
そういうものが人間を成長させ
個々の発展は全体の発展につながり
その結果社会のベクトルはいい方向へ向うのではないか
という気がしてならないのです。

****

ここまでびっくりするくらぃ真面目なことを
書いてしまいました
自分でも予想外の内容になりつつある今ですが
何でこんなことを書いたのかというと
いまとても気になることがあって

コメントにルールは必要か?ということ

もちろん暗黙の了解はあるでしょう
大雑把に言えば日本語で書くとかね、そいういうのは
でもいまあるコメント欄の雰囲気が
良くなったと言う人もいて
明かりやすく便利と言う人もいて
前向きにいろいろ考えて
提案が飛び交っていて
それはすごくいいことだけど
でも
あたしは
自分の書きたいように書きたい。

わがままでもいいです。
でも、やっぱり思う。

各自が工夫しているコメントを見て
それが自然発生的に広がっていくことは
便利で使いやすいということだから当然のこと
提案することでルールが形成されるということは
とても素晴らしい。

でも、あたしはそこには加わらないです。

ルールは何のためにあるのか?
誰のためにあるのか?
どういう風に形成されるべきか?

考えています。

そもそもなぜルールが必要だったのか?
実際個々にどう思っているのか?

コメント欄を眺めながら考えて
いろんな「ひとり」になってみて
最後に自分に戻ってきたとき
やっぱり、そうだなって

あたしは自分の書き方で書く
それでいい
ひとり、ひとりの声
ひとり、ひとりの考え
それを大切に読む、感じることを続けようと思うのです。

ルールを決めても実は
問題は解決していないのではないかとも思ってます。

*****

さて、きょうはここまで
これを読んで思うところがあれば
是非あなたの考えをそっとでも大きな声でも
聞かせてくださいね。

批判も文句もどんとこぃです

無記名の人もコメントしたことがないという人も
気が向けば是非!


次の時間は体育ですょ
指先の準備運動をしておいでくださいね♪


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