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THノベルズ 「息子の名前」 [図書室]

紫紺のボディが、車庫の蛍光灯を浴びてなまめかしく光っている。
ピニンファリーナのグラマラスなボディに手を置き、ゆっくりとドアを開けた。


運転席の黒い革シートに滑り込み、無粋なシートベルトをロックした。
キーを一段ひねり、チョークを引く。アクセルを踏み込むと、エンジンに火が入る。
ゆっくりとアクセルを緩め、チョークを戻す。

冷たいエンジンに命を吹き込む儀式を終えると、コンクリートに囲まれた車庫に水冷V6 2.4リッターのエンジン音がこだました。
冷え切ったエンジンの暖気を終える間、昨日までのことを思い出す。

すべてのコトは流れ作業のように進んでいき、そこに私の感情の入る隙間はなかった。
葬式は故人の死を悲しむまでの執行猶予だと、誰かが言っていた。
確かに彼が隣にいないことも、まだ現実のこととは思えない。

スイッチを押し、シャッターを上げる。
ゆっくりとクラッチをつなぐと、滑るように走りだした。

目的地などない。

どんなにせがまれても、ハンドルを握らせなかった。父がそうしたように…

「俺が引退したらな。それまでは助手席で我慢しろ。」

…苦い思い出だけが、通り過ぎる水銀灯のように浮かんでは消えていく。

*****

父が興した小さな貿易会社を継いだあの日。
社長室の机の上に、真新しいキーホルダーと古ぼけた車のキーが置いてあった。
メモには一言「好きにしろ」

その日の役員会で何を話したかなど、何も覚えていなかった。
ただ、午後の予定をすべてキャンセルし、地下の車庫に置いてあった車に飛び乗った。
あの時の興奮だけは、はっきり覚えている。ハンドルを握る時の高揚感は、今も変わることはない。

*****

二周目に入った。

18になり免許を取った彼は、書斎のドアをノックすると一生のお願いと言った。
免許を取って初めて握るハンドルは、どうしてもあの車が良いと…

二人で車庫に降りて、久しぶりに助手席に座った。
彼は真っ赤な顔で、ゆっくりとキーを回した。一度、二度と失敗し、三度目にようやくエンジンがかかった。

「今日のところはそこまでだ。やっぱりお前にはまだ早い、後は俺が引退してからだ。」
と、笑いながら言った。

彼は悔しそうな、嬉しそうな、どちらともつかない表情で、笑みを返した。

*****

3周目。

自分がそうしたように、父も車のキーだけは肌身離さず持ち歩いていた。
どんなに好きでも、車に乗る時は父と一緒でなければならなかった。

当時はシートベルトなど必要なく、(今思えば危険極まりないが)シートに横向きに座り、父のドライビングを飽くこともなく見つめていた。
箱根、九十九里、下田。父との思い出は常にこの車とともにある。

ミッドシップに短いホイールベース。背中がむずむずするような、エンジンの振動、
滑るように進むワインディング、広い視界を過ぎていく海岸線。
幼い自分には、最高に幸せな時間だった。きっと父がそうであったように…

*****

蛙の子は蛙。息子も小さいときからこの車に夢中だった。
父がそうしたように、仕事の合間を見つけては彼と一緒にドライブを繰り返した。

ある日、妻とのドライブを終えて家に帰ると、彼は部屋から出てこようとしなかっ
た。
置いて行かれたのをひがんでのことだろうと思っていたが…

次のドライブの時、彼がひそかにペンを持ちこんでいたことに気がつかなかった。
ふと眼を助手席に移すと、なんと彼はドアの内張りに名前を書いていた。

烈火のごとく怒る私に、彼は大粒の涙を流しながら言い返した。
「ここは僕の席だ!」


助手席のドアには、今も彼の名前が残っている。


それを目にした瞬間、涙があふれてきた…。
津波のような感情に打ちのめされる。

…もう彼がこの車を運転することはない…


避難帯に車を入れると、ハンドルを握りしめ、大声で泣いた…

主を失った助手席に、水銀灯が涙のように滲んで光っている。


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こんにちは、THです。

今回は「車のある風景?」第二弾。さて、この車は何でしょう。
車好きの方なら、題名でピンとくるかもしれませんね。

答えは、ディーノ246GTです。フェラーリの中でも、「フェラーリ」ではなく息
子の名前(ディーノ)を冠した車です。「知らない人はググれ」というのは簡単
ですが、それでは不親切なので、ちょっと解説しますね。(知ってる方は、読み
飛ばしてください。間違っていたら、教えてください。)

この車は、フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの息子であるアルフレディー
ノが病床で設計したエンジン(当初はV6の 2リッター)を使った車です。
彼は白血病で、エンジンの完成を見ることなく24歳の若さでこの世を去りました。
しかし、レーシング部門では名設計者としてF2用のエンジンなどを作っていました。
最終的にはF1用のエンジンユニットまで発展し、こちらも「ディーノユニット」
として有名です。また、アルフレディーノは代々フェラーリ家の長男が継ぐ名前
だそうです。日本だと竹本文字太夫とか、松本幸四郎、なんてところでしょうか。
(え?それは違うって?)
(ちなみにWikiでは、死因が「筋ジストロフィー」になっており、名前も「アル
フレード」となっていました、どちらが本当かはわかりません。)
小型ミッドシップで、上述したように「フェラーリ」の名前は冠していません。
(通称で「フェラーリ・ディーノ」と呼ぶ人もいますが)
また、ボンネットには通常のフェラーリエンブレム(四角の枠の中に、黄色背景
の黒抜き跳ね馬)は付いていません。ボンネットには横長の四角の中に「DINO」
となっており、フェラーリを示すものは、車体後部の銀色の跳ね馬のみです。
いずれにせよ、私のような「スーパーカー(サーキットの狼)世代」には、たま
らない特別なフェラーリです。


本文中に車名を入れようかとも思ったのですが、知らない人には結局解説が必要
だと思い、あえて外しました。そこで、ちょっと無粋な解説がつけてみました。
もちろん、知らなくても差し支えないような書き方をしたつもりですが、これら
の背景を知っていただくと、今回の題名や内容が少し違った印象になるかと思い
ます。(一粒で二度おいしい?)
前回のポルシェは裏ストーリー的な話(プレイバックパート2)でしたが、今回
は車そのものに焦点をあててみました。こんな話もたまにはいいのではない
でしょうか?
興味を持っていただいた方は、ググっていただければより詳細の記事(写真)がたくさん見つかります。

「次は跳ね馬」とのリクエストもいただいていたので、挑戦してみました。
ちょっと悲しいお話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?

私は残念ながら長女(3歳6カ月)、長男(11か月)に引き継ぐような、上等なも
のは持ち合わせていません。せめて、「思い出」だけはあふれるほどに、と思っ
ています。

最後に残った「闘牛」も、そのうち考えてみたいと思います。
なお、今回は「毎日jp」の「名車グラフィティ:フェラーリ ディーノ246GT」
を一部参考にさせていただきました。

では。
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コメント 11

002Z

ディーノですねぇー
美しい車ですね。
1回だけ実車を見た事があります。

闘牛は目がパッチリしているのが好きです。


by 002Z (2009-10-08 00:56) 

015 猫目

今回はディーノでっか。
THちの文章はなんか艶っぽいねぇ。(^_^)
息子の正式名はアルフレード・フェラーリで、愛称がディーノやね。
車には愛称の方をつけたってことみたいね。

by 015 猫目 (2009-10-08 08:27) 

014けんづる

台風対応の合間にブレイク。。。

ええで麩な。ディーノ。
ディーノはあくまでもディーノであってフェラーリではない。。。
という方もいらっしゃるようで麩が。
でも。づるはエンツォの気持ち考えたら「特別な」フェラーリだと思い魔麩。
ストーリーもクルマの生い立ちとリンクして。。。

闘牛は三浦牧場。に一俵!!
え。乙んの言ってるのは胃尾田?
失礼し魔知多。。。
by 014けんづる (2009-10-08 10:06) 

026 Old Y

昔持ってたなぁ~。。。
いや、ディーノのミニカーですが、何か?

今は何処にあるのか行方不明。
そういえば甥っ子が持ち帰ったような。。。

スーパーカーと呼ばれる前のスポーツカーが好きでした。

by 026 Old Y (2009-10-08 16:15) 

074 わからん

チョークを使う季節になりましたね。
エンジンはこの位の気温が機嫌良くて
ついつい走ってしまう季節。

若い人、チョークって知ってるのかな?

by 074 わからん (2009-10-08 20:45) 

002Z

づるたん

闘牛は見裏です。

カウンタックより好きです。

羽馬ならBBや308GTB、デイトナあたりが…

アルファなら新しいところで8C(今の)のスタイルもたまりません。
by 002Z (2009-10-08 21:51) 

045 ch-k ってゆーかC★ちさとでーっす

チョークといえば黒板をこうキキキーーーーッと…じゃなくて、コールドスタート時に燃料をたっぷりとシリンダーに送り込むためのキャブレター内のバルブの仕掛けのことですね。

エンジンスタートのときにレバーをいっぱいに引き、エンジン始動後に少しずつ暖まってくるにしたがいレバーを戻す。

この、チョークを戻すタイミングと戻す量を間違えるとエンジンのご機嫌がとっても斜めになってしまうという大変気難しくてやっかいな装置でしたね。単車乗りだった私にはよーーーーーくわかります。最近のクルマには電子制御の燃料噴射装置が装着されていて、そういう面倒なことは頼んでもいないのにぜーーーーーんぶクルマが勝手にやってくれるようになってずいぶん楽チンになりました。それがよかったのかどーかは別として。

そういう儀式みたいなクルマとの会話が減りました。なんだかちょっぴりさみしく感じてしまいますね。


by 045 ch-k ってゆーかC★ちさとでーっす (2009-10-08 22:31) 

A.U.

良いですねぇディーノ。
スーパーカー世代でサーキットのオオカミ世代ですから。

羽馬は奪取です。
洒落にならない洒落です。スルーして下さい。

チョークが良いです。
直って引きっぱなしよりイグニッションやスロットルと
微妙に調整しながら使うのがベストですよね!
ジムニー(SJ30=ポンポロジムニー)はモチロン
チョーク付きで、冷えてるときは
チョーク引いてスロットル全開にしながらセルを3~4秒
回して、『せーの』で全部一気に戻す瞬間に息を吹くと
言うものでした。そんななので誰にもエンジンは掛けられ
なかったので、当然盗難には遭いませんでした。
あはは。

今もバイクは(21年前のモデル)
ちょーっくっすよ!!!(^_^)v

最後になりましたが、良いお話です。
3回目に掛けたときの残念そうな嬉しそうなと言う
オヤジの気持ちがよく分かります。あい。

あう



by A.U. (2009-10-08 23:00) 

044 いちご

THん。

いつもいつも素敵な読み物をありなとなつ!

子供に遺せるもの。
何があるかな・・・。

ぼんやり考えたりするけど、いざとなると言葉にするのは難しいなり。
いつかしっかり言葉になるようになるのかな。


ちょす。
by 044 いちご (2009-10-09 08:48) 

074 わからん

SJ10 2スト サル顔ジムニ-、いとこのとこにあったけど、
秋が一番かかりにくかったなー。
セルはキリキリキリキリーッとやけに軽くて
チョーク全閉、アクセルで加速ポンプ連打
キリキリキリ カッタカッタカッタ(アクセル音)
やっとかかってもアクセル全開でやっと回ってる感じ
チョークは4/5位にしないとかぶるし
戻したらモォーモロモロって止まるし。
なんせ直ぐには走り出せない乗りもんだった。
もう一台あった。
2発のアクティ軽トラはそれはそれは気難しかった。
冬は乗れないことがよくあった。
プラグ見るのも面倒そうだから見なかったし。
でもかかれば120キロのメーター振り切ってた。
昔のホンダらしい感じのクルマ。

懐かしいなー、田舎っていいな、小学時代。(あれ?
by 074 わからん (2009-10-09 22:50) 

032 おやさん。まおたん

チョークなんて、投げられた記憶しかないw
あ、いきなり違うことかいてごめんなさい。

ディーノのお話しなんですねぇ。。。
すみません。車うといので><

だけど お話しとても しんみりと来ました。
次週はTHさんから どんな愛のお話しを聞けるのか
たのしみです
by 032 おやさん。まおたん (2009-10-11 00:08) 

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