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【新刊入荷!!】「無償の愛」 THノベルズ [図書室]

ガシャーン

昼下がりのマンション。ものが割れる音に続いて、何かが倒れるような音が続く。

しかし、住人は驚いた様子も見せない。

 

「ああ、またか。」

 

「かわいそうに…」

 

あるものは肩をすくめ、あるものはそっと二階の窓を見上げる。どうやらこのような状況は日常のことのようだ。

いつもと違うのは、遠くからサイレンが聞こえてきたことだった。見かねた住人の誰かが警察を呼んだらしい。

 

パトカーが到着すると、どなり声が響いた。


「なんでもねぇよ!」

「しかし通報があったので、現状を確認したいのですが。」

「うるせえな、なんでもないって言ってんだろ!だれが通報したか言ってみろ!」

 

警官に対しても大声を上げる男の息は、顔をそむけたくなるほど酒臭い。

 

「奥さん、大丈夫ですか?」

業を煮やした警官は、家の奥に向かって声をかけた。

 

「大丈夫です、何でもありませんから帰ってください…」

答えた声はか細く、今にも消え入りそうだった。

「どうだ! なんでもねぇって言ってんだろ!さっさと帰れよ!」

 

「民事不介入」が原則の警察では被害者が訴えない限り何もできない。

警官は何かあったらすぐ連絡するようにと声をかけて、帰っていくしかなかった。

  

警官が去ったその部屋のなかでは、再び暴行が繰り返された。

 

「…逃げようなんて、思うんじゃねぇぞ。どうせここを出ても行き場なんてねぇんだよ。」

「…お前みたいな人間のクズを相手にしてやるのは、おれくらいなもんだ。感謝しろよ。」

 

女は黙って殴られるまま耐えるしかなかった。泣いたり、悲鳴をあげれば男の暴力はますますひどくなることを、女は知っていた。

殴るだけ殴って気がすめば、男はすぐに酒を飲みに出ていく。それまでの辛抱だ。

 

しかし、その日は違った。警官と話したことで興奮したのだろうか、男の暴力は執拗を極めた、そして…

 
-------------------------------------------


昔はこんな男ではなかった。決して裕福ではなかったが、男の胸に抱かれながら、まだ見ぬ店の間取りについて話し合うわずかな時間。

幸せだった。

 

二人で一所懸命に働くことができたのも、そんな夢があったからだ。

しかし、あの日、すべてが変わってしまった。

 

子供ができたことを誰よりも喜んでくれたのも、この人だ。

両親を事故で亡くした女にとっても、はじめて「家族」を実感させる出来事だった。

 

それがわかった時、男は早く仕事をやめるように迫った。決して強くない女の体を心配してのことだ。

しかし将来のために仕事を覚えたかった女は、一日、また一日と先延ばしにしていた。

そんな時、悲劇は起きる。

 

それは些細なことで起きた喧嘩だった。バランスを崩した客の一人が、大きくなりかけたお腹にぶつかった。

 

男が荒れ始めたのは、それからだった。

-------------------------------------------

 

「…わかってんのか!コラ! 子供も産めないくせに、この不良品が!」

 

その一言は、女の最後に残った「心」を打ち砕くのに十分な破壊力を持っていた。

女は真っ暗な闇の中に、落ちていく自分を感じていた。

 

…男はいつの間にか出て行ったようだ。既に、外は真っ暗になっている。近所の住人は既に寝てしまったようだ。物音一つしない。

女はのろのろと起き上がり、ある決意を胸にドアを出た。行く先はないが、ここにいてはだめだ。…そうだ、駅前の交番なら、話くらいは聞いてくれる。男はあと30分ほどで帰ってくるはずだ。急がなくては…。

ふらつく体を手すりで支え階段を下りた女は、階段を振り仰ぐと駅に向かった。

 

女はその連絡を交番で受けた。

警官とともに病院へ向かった女を見ると、医師はすぐに入院を命じた。

  

女がベッドに起き上がれるようになると、医師と警官がやってきた。

警官は、事故の原因が階段上にあった空き瓶だと説明した。酒に酔っていた男は、そのまま階段を転げ落ちたのだった。ふだんから近所の住人と折り合いが悪く、そのせいで通報が遅れたようだと付け加えた。

続いて医師が、外傷はさほどではなかったものの打ち所が悪く、言語障害に加え全身に麻痺が残ることを、そして最後に回復の見込みがないことを告げた。

 

「植物状態ということでしょうか?」

「いえ、既に意識は回復しています。ですから、患者は余計につらいと思いますよ。」

女は医師の言葉にうつむくと、ぽつりとつぶやいた。

「少しでも…、彼に会えますでしょうか?」

  

「…では我々は席を外しますので、ゆっくりとお話しください。」

医師が告げ、女は病室に入っていく。

「しかし女はわからんなあ…。あれだけDVの被害にあっていながら、離婚しないなんて。」

「ですよね、まだ若いんだし、すっぱり離婚して新しい人生を歩めばいいのに。」

「あんな状態の夫を見捨てることができないんだろう、まさに無償の愛だな。」

  

ベッドの横に立った女は、男のほほに手をあてる。

「これからは、ずっと二人きりね…」

 

女の表情に気づいた男の目が、大きく見開かれた。

女は男のほほをなで続ける。

 

「ずっと、ずっと…。」


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045 ch-k


女は自分の気分次第で“愛玩”することのできる一体の人形を得た。
その人形は意識をもっているが、それを伝える術をもたない。
ただ、目だけで心のありようを語ることができる。
女の手でほほをなでられた人形の目が語るものは何か?

読み手の心を写す鏡のようなお話ですね。


by 045 ch-k (2009-06-11 08:49) 

014けんづる

いやぁ。。。すごい筆力の持ち主揃いですね。この学園は。。。

感情移入させといて。。。。って感じ。
けんづるの貧弱な想像力でも身震いしちゃいますた。。。
江戸川乱歩を思い出しちゃいました。


次作がむちゃくちゃ楽しみです!!!
by 014けんづる (2009-06-11 09:17) 

023-QT

読み応えありますね、づるくん同様ぶるっちゃいます。
ch-kさんの、「女は自分の気分次第で“愛玩”することのできる一体の人形を得た、、、」これもコワッ!

by 023-QT (2009-06-11 12:33) 

A.U.

THさん どもです。

かなり怖いです。人の変化などほんとに簡単なスイッチ一つ
ですねぇ。人のふり見て我がフリオイグレシアス。
初心に返ろう。

と心に誓うのでした。忘れっぽいけど・・・

しかし、文才のある人が多いですねぇ・・・すごすぎますね。

A.U.
by A.U. (2009-06-11 12:45) 

015 猫目

おー、キター! THのべるず!\(^_^)/
いやぁ、相変わらず深いねぇ、THっちん。
猫の浅さと対称的。(笑)
図書室も賑わって来たなぁ。(^_^)v
by 015 猫目 (2009-06-11 12:46) 

016 AP2

わぁーい!
図書室が充実してきて嬉しいで趨ぅ。

これで,安心して学園物語Season2も休載・・って (オィ!!

こんな戯れたコメントでは 鯉も飼えませんよね・・・
 こらぁー 校庭10周! って叱られるよなキット  (デヘッ

是非ともTHさんもここに連載していただけることを,スーダン国境近くのエチオピアの町で期待しています。

THさんや猫目師匠の作品の間に,私の妙な担・担が混じるのは,正直言って恥ずかしいの一言ですが,私としては連載仲間が増えるのは大変心強いことなので,是非ともよろしくお願いいたします。
では,また

by 016 AP2 (2009-06-11 18:53) 

026 Old Y

背筋がゾックっと。。。
ここではどんなジャンルでも楽しませてくれますね。

THさん、凄いの一言です。
by 026 Old Y (2009-06-11 22:47) 

051 TH

CH-kさん、けんづるさん、QTさん、あうたん、
猫師匠、AP2さん、OLD Yさん

過分なお褒めの言葉、恐縮です。

けぇちゃん、ありがと。


先日の猫師匠のSSに対抗しようと思ったのですが、
私には修行が足りませんでした…(涙)
と、言うことでちょっと真逆の方向に挑戦して見ました。

次もがんばりますので、ぜひ厳しいご意見などお願いします。



by 051 TH (2009-06-12 00:20) 

032_oyasan

THさん ノベルスありがとうございます。

一気に書き進められたのでしょうか?
まいってしまいました。
生きるってこと、出会いってこと
そして、そんな中の負の部分と光の部分が
垣間見れるような気がします。

人生山あり谷あり・・・
いまこうして、元気でいられることに感謝して☆
by 032_oyasan (2009-06-12 12:58) 

061 CSの語り

THさん今回は、DVネタで始まり、

女性の優しさで終わる、ちょっと最初ドキドキ、

あとにんまりという感じで、白犬でした~。

図書室も役者が揃ってきましたね~。

今後の展開が楽しみです。

学園の展開が速いな~って感じるのは、
私だけ?
by 061 CSの語り (2009-06-12 15:25) 

056 kk

単純に読んではいけない、というのが小説です。タイトルだけで単純に考えてはいけないのが小説です。

「その一言は、女の最後に残った「心」を打ち砕くのに十分な破壊力を持っていた。

女は真っ暗な闇の中に、落ちていく自分を感じていた。」

そして
「女の表情に気づいた男の目が、大きく見開かれた。」

ここをどう読むかで、読者のこの後の展開についての想像が大きく変わります。もちろん、作者はここで小説を切っているわけですから、読者によってさまざまな想像がたてられます。
私の想像は?いやいや、みなさんの想像する楽しみを邪魔してしまいますので、作者にならって「みなさんのご想像にお任せいたします」。・・・ただちょっとだけ。上のコメ・CSの語りさんのように 「女性の優しさでおわ」っているとは、私は思いませんでした。
ということで、淀川長治風に。「このラストの女の表情、どう観ましたか。このあとどうなっていくんでしょう。監督はどういう意図でここで映画を終わりにしたんでしょう。怖いですね、恐ろしいですね。それでは次週をお楽しみに。サヨナラサヨナラサヨナラ。」
by 056 kk (2009-06-12 17:09) 

ke_co_ltd

★けえです
THノベルは毎週木曜の掲載よていです!来週もお楽しみに!

by ke_co_ltd (2009-06-13 23:59) 

031 11 @ ようやく読了

残念ながら、最悪の読後感です。


ちさとんの言う、
> 読み手の心を写す鏡のようなお話ですね。

これが心に深く刺さりましたの。


、、、THたん。
けなしてるわけじゃないよ。ほめ言葉だよ、きっと
(わかってもらえてるとは思うけど、念のため

、、、今週も楽しみ(?)だぉ。
by 031 11 @ ようやく読了 (2009-06-14 01:58) 

048 やぎ座

どんなにひどい仕打ちを受けても、
家族はこの人だけだから・・・
これからもずっとそばにいるわ。

ってことかと思ったのですが、
みなさんのコメントを読んで、
ああ、そういうことなのね、と
気づきました。
読解力がないわ~。


毎週木曜日ですね。
明日月曜日は・・・
あー楽しみが増えて嬉しいです!!

by 048 やぎ座 (2009-06-14 15:00) 

011 まちるだ

遅ればせながら読みました!
THさん、ブラックだわん。麩麩麩。グサッときますね。

女って執念深いんですのよ。ええそれはそれは、、、
愛とは時に憎しみを呼ぶものなのです。


by 011 まちるだ (2009-06-15 19:57) 

030 ダルコ

桐野夏生みたいな展開になるかと、読みながらゾクゾクしました。
愛が憎しみに変わる瞬間って怖いですねぇ。
深いです。続きをそれぞれが想像するラスト。
みんなのコメントも面白かったです。
次回作も待ってます!
by 030 ダルコ (2009-06-15 21:09) 

さに

コワイ。が最初の感想です。
女が男を見る目は無償の愛のある目ではない。女にはもう男に対する愛情なんてないんだから…
でも、男と一緒にいることを選んだのはどうしてなんだろう。
玩具として弄ぶため?
今までされたことをやりかえす?
そんなの。前向きでない。せっかく新しいスタートをきろうとしていたところなのに。
しばらく考えてもわかんない。
そしてまだしばらく悶々が続くのだ。
男と女って難しいですね。
by さに (2009-06-17 08:12) 

056 kk

(無粋な解説)
ソ、ソ、ソックラテスかプラトンかぁ。ニ、ニ、ニーチェかサルトルかぁ。みーんな悩んで大きくなったぁ。(わかるかた数名、かな?野坂昭如が昔CMで歌ってました。)
つまるところ、「女の表情に気づいた男の目が、大きく見開かれた。」をどう解釈するかで180度(360度ではないです、念のため)このあとの想像が変わります。作者はここで切っているので、このあとの展開は読者の想像に委ねられています。

1、女の目には狂気が宿っていて、男は「いつか殺される、助けてくれ。」と思った。
2、女の目には優しさが湛えられているが、男は「考えてみれば、あれだけ暴力を振るったのだから、こんな優しい目で見るはずはない、これは罠だ、だれか助けてくれ。」と思った。
3、女の目には優しさが湛えられていて、男は「あれだけ暴力を振るったのに逃げ出さずに支えてくれるというのか。うそだろう。でも、ありがとう。」と思った。

流れからいえば1か2の解釈が妥当ですが、この後に「やがて男の目から大粒の涙がこぼれた。」とかなんとかくれば3が正解となります。
ただし、作者は「心」が砕かれたとは書いていますが、「ある決意を胸にドアを出た。行く先はないが、ここにいてはだめだ。」と、男から離れる(離婚すると同義か?)ことのみを選択したようにも書いているので、愛が憎しみに変わったとは断定できません。ここでも「自分がそばにいては男が再起できないので出て行こうとした」という解釈も成立します。結局は読者一人一人があれこれ想像して悩むしかない。ということになります。
・・・ソ、ソ、ソックラテスかプラトンかぁ。ニ、ニ、ニーチェかサルトルかぁ。みーんな悩んで大きくなったぁ。
 いじょ。
by 056 kk (2009-06-17 17:17) 

045 ch-k てゆーかC★ちさとです


kkさま

グラスの底に顔があってもいいんですよね♪

さて、それではkkさまがおっしゃるところの「無粋な解説」を追っかけます。

たぶん、女は男に対して何も手をくださないだろうと思います。いたわることもなく、いたぶることもなく、ただ男を見おろしているだけ。ただそこにいるだけ。男に対し、自分がそこに存在していることを示しているだけです。

男は女に「復讐される」ことを当然予想し、殺されるかもしれないことも予想しているとは思います。そして、それが実行されることで一つのケリがつくことも知っています。

ところが、それは留保されたまま引き伸ばされていく。死刑が確定して執行を待つだけの死刑囚が、毎日、今日執行されるか、明日執行されるかと不安な日々を過ごすように。

女は、男に「生殺し」の苦痛の日々を与えることで精神的に彼を追い詰めていく…。

と、こんなふうに考えたんですけど。まあ、これも無粋のついでってことで。

by 045 ch-k てゆーかC★ちさとです (2009-06-17 18:36) 

056 kk

ちさと様

私もそういう展開を想像していました。
THさんの意図として、心理描写・情景描写ともにある程度ぼかしておくことで読者の想像の振れ幅を大きくする、という意図があるように感じました。私が書いたように「やがて男の目から大粒の涙がこぼれた。」とか、通常であればどちらか一方向の展開を想像させるような描写をあえてしていないように思えるからです。

ただし、「やがて男の目から大粒の涙がこぼれた。」という描写があれば、常識的には一方向に想像が向かうのですが。足利事件では、普通の刑事ドラマなら「涙」を流して「私がやりました」とくれば「完落ち」の瞬間ですが、流したのは「悔し涙」で「何度やってませんといっても信じてもらえず自暴自棄になって私がやりました」といったということです。「事実は小説より奇なり」「常識は疑うためにある」ということでしょうか。
by 056 kk (2009-06-17 23:34) 

065 じん

怖いよう。

自分がこの女性だったら。
DVが始まればとっとと家を出てるだろうなと。
何さらすねん、このろくでなし、ぐらい言って。
あっさり別の男こしらえて。

そうしないで、我慢して、意識だけあって
動けない男を、いたぶりたいだけいたぶるんだろうな、
この女性は。。

怖いよう。
数年後に衰弱死した男性のミイラ死体とか
まぢで出てきそうだもん。

ってそういうオチじゃなかったらごめんなさい。
読解力ないのです。



by 065 じん (2009-06-18 00:12) 

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