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重い槍とまごころの文章 [校長室]

 つい一週間ほど前のことだが、まりもと会った。

 ほとんどの方はご存じと思うけれど、彼女は marimotchi のハンドルネームでいつもコメントをくれる女の子だ。てっきり男性だと思っていたら実は女性で、おまけに marimotch と〝i〟を付け忘れてレスをしたら〝愛がない〟と叱られはしなかったけど、私のぼんくらぶりを見事に引き出した女の子でもある。

 ただでさえ私はコメントをくれた男性を女性と読み間違えたり、女性を男性だと勘違いしてしまう名手なのだ。実を言うと、さにも最初は男性だと思っていた。小坊主はいまだにどっちなのかまだわからない。悩む。二枚目なだけだから、私。

 二枚目と言えば、ちょっと前にある人からチョコレートをもらった。バレンタインデーは過ぎていたからバレンタインチョコとは違うかもしれないけれど、四枚入りのとてもお洒落な高そうなチョコレート。

 何故こんなことを書くかというと、それはみんなからチョコレートのみならず他の贈り物をもらいたいから……、じゃなくて、福沢諭吉のブロマイドならいくらでも受けつけるのだが、ということが言いたいわけでもなく、しかしいただけるなら連番でもバラでもどちらでも構わないし、束ねられるくらい厚いほうがありがたいけど、全部同じ番号なのだけはやめてね。

 という本音は置いといて、四枚入りのお洒落なチョコレートをいただいて、これがとても美味。食べるのが勿体ないくらいで、だからというわけではないが、私は二枚だけいただいて、半分はまだ食べないで残してある。気持ちが嬉しかったからだね。

 原稿を書くとき、私にはコーシーと甘いものが不可欠で、我が家にはいつもチョコレートがどっさり買い置きしてある。最近イチ押しのギャグ……、じゃなくて、イチ押しのチョコレートというのがあって、これは〝一日一個限定〟にしているので――、理由:詰め合わせだけど、それなりの値段がするから。

 そのお店にはほとんど隔週で買いに行ってるから、すっかり顔を覚えられたんだな、私。

 顔を覚えられたと言えば、いつも煙草を買いに行くコンビニでも私はすっかり有名人。タスポを持っていないから煙草はコンビニで買うのだけど、買うときは決まってカートン単位。最近はレジに並ぶと、店長ばかりか店員さんまで先にカートンを用意して待ってくれてます。

「何だ何だ、このコンビニは客に商品を押しつけるのか。しかも身体に悪い煙草を」

 私はクレーマーなので、凄んでこんないちゃもんをつけます。

「すいません……、今日は、あの、煙草はいらなかったですか?」
「いるよ。でもせっかくだから2カートンちょーだい。釣りはいらないから」
「すいません、あの……、5000円だと足りないんですが」
「しょーがないねぇ。じゃあ、あと1000円。ほんとに釣りはいらないよ」

 いつもこんな感じで遊んでます。ほんとです。

 というのも、このコンビニに通い詰めているうちに店長さんや店員さんの顔を覚えて、そのうち挨拶をするようになって、そーこうしているうちに一緒に食事をしたりするようにもなったからなんですね。バイトで入っているJDとお茶を飲んだりもしますよ。モノ書きは言葉が巧みでないと勤まらない。というコラムを読んだような気もします。

 私はこんなふうにして、知り合いや友だちを増やしています。あら、お友だちになるのは簡単よ。こちらから積極的に話しかければいい。

 しかし、私がただナンパしているだけだと思ったら大間違い。ただでナンパはできない。ナンパにもお金がかかる……、じゃなくて、いろんな職種の知り合いがいれば、それだけネットワークも広がるからです。これが本音。たぶん。だって私は妻帯者だもの。そんなにしょっちゅう女性に声をかけたりしない。

 余談ですが、JRの〝みどりの窓口〟のチケットカウンターの女性をデートに誘って失敗した場面を猫弾きに目撃されています。ほんとです。喫茶店のウェイトレスさんに、ねぇ、お茶でも飲みに行かない、と声をかけては鯉も飼えません。TPOをわきまえましょう。

 でも、婦人警官をドライブに誘うのは簡単です。すぐに〝彼女〟の車に乗せてもらえる方法を知っています。ただし、座るのは後部座席です。私は彼女たちにナンパされてドライブしたことが何度かあります。挙動不審だそうです。取材相手を張り込んでいたら、ご近所から変な男がうろついていると通報があって張り込まれてしまった私です。

 という本当の話は置いといて、チョコレート。

 原稿を書くときはサッカーのブラジル代表並みに頭を使うので、またそーいうときは糖分補給をしたほうがいいらしく、だからチョコレートのような甘いものをちょっとずついただいているのですが、いただいたチョコレートもそのときいただこうと思いつつ、二枚目まではいただいたけど、どーいうわけか三枚目に手が伸びない私です。

 何故なんだろう? 悩む。二枚目なだけだし、私。読者のフレーズをパクらないよーに。

 というわけで、まりも。

 先週の土曜日(4月11日)には、まりもの上京と就職と歓迎のオフ会が開かれたんだね。これはミクシィ〝××コミュ〟主催のオフ会です。伏せ字には私の名前が入ります。ミクシィ主催の話を学園で書いていいのか、とツッコまないよーに。

 そーいえば、校長代理のけえから聞いたんだけど、先週の10日、この学園サイトには1日で1500件もアクセスがあったんだって。すごいね。そのうち日経ビジネスオンラインに貼ったトラックバックからのアクセスが約500件。運営者はそういったデータがわかるそうなのですが、オンライン以外からアクセスした1000件はいったいどこから来た人たちなんだろう。

 皆さまの入校をお待ちしております。

 入校を希望される方は、左上にある〝ちくわ部〟というカテゴリーをクリックして、そのページのいちばん下にあるコメント欄にハンドルネーム他、自己紹介文などをお書き添えの上、送信してください。ちくわ部への入部がイコール××学園入校という、変わった決まりのある〝銭湯通い〟な学園です。

 ちなみに、銭湯通いとは〝湯に行く〟という意味です。それでも何のことかわからない方はカタカナで読んでみましょう。こーいうジョークをハイブロウと言います。入校案内でした。申し遅れました、私が校長の××です。たぶん。伏せ字には私の名前が入ります。

 というわけで、まりも。

 歓迎オフの前に、まりもに会いました。ちなみに、彼女はこの春、大学院を卒業したばかりの新社会人。たいへん夏の扉です。その日の主役が彼女だったので、私も就職のお祝いくらいはしなきゃいかんな。と思ってオフ会の前に呼び出したのだけど、まりもとはほんとはちょっと真面目なお話――、人と人との距離感やラインのお
話をするつもりでした。

 これは、まりもが以前、家族でも友人でも心の距離があったり、ラインを引いてその距離を保つのはとても難しい。といったコメントをくれたからで、いつかその話をしようね。と約束していたからでした。まだ若いのに、この子は人生のことをとても深く考えています。

 でも、そーいう話はできなかった。何故でしょう? 答えは次の中から。

 1. けえが騒がしかったから。
 2. けえが邪魔ばっかりするから。
 3. けえがふざけてばかりいたから。
 4. けえが人の話を全く聞こうとしないから。

 答え。私がふざけてばかりいたから。

「ところでさ、ちょっと訊きたいんだけど、どーしてきみみたいな子が私の書いたものを読んでるの?」
「えー、だって面白いじゃないですか」
「ダメだなぁ、きみは。そー言ってくれるのはありがたいけど、そーいうときは白犬じゃないですかと言わなければいかんのだ。ほんとに読んでいるのか、きみは」

 こんなことばっかり言っていたからです。

 ということだから、まりもとは今度ちゃんとしたお話をしなきゃ鯉も飼えないね。

 彼女の顔は猫弾きが送ってくれた関西オフのDVDで見て知っていたのだけど、DVDで見るまりもと実際に会ったまりもではずいぶん印象が違います。すでに彼女と会った人はわかると思うけど。

 やっぱり初々しいね。夏の扉です。DVDでは髪をアップにしているように映っているので、あちらのまりもはちょっと大人っぽく見えます。

 私たちは四人掛けのテーブルに座って、私の真向かいがMKくん。その横にけえが座って、だからまりもは私の右隣りに座りました。MKやけえのほうを向いて話して、ちらりと横を見るとそこにはまりものアップがあって、目が綺麗なんだな、この子は。

 ということを書き綴っていくとまた問題になりそうなのでやめますが、しかし白犬だね。

 コメントをくれるまりものイメージと、実際に会ったときのまりもの印象――、想像していたのとはずいぶん違っていたり、イメージとシンクロするところがあったり。これはきっと誰に会っても同じかもしれません。みんなに会いたい私です。

 たとえば、言葉で気持ちを伝えるのは難しいけれど、実際に会って話していると、その場の雰囲気やニュアンスで伝わるものもあって、むしろそのときの声音とか呼吸が意思の疎通を図ることが多い。と私などは思っている。

 しかし、文章にすると、ましてやそれが手書きではなく端末上でのやり取りだったりすると、文面や言い回しだけでは伝わりきらないことのほうが多く、ときとして誤解も招きかねない。というようなことがよくある。

 文章には、知性と、重い槍と、まごころが出ます。つまりは性格が出る。
 声にも、知性と重い槍とまごころが出る。こちらもやっぱり性格が出る。

 で、今回はちょっと文章のお話を。ちょっとと言いながらたくさん書くのが私です。

 字の上手い下手は別にして、手書きの文章ならば、丁寧に書こうとした筆跡が気持ちを伝えることもある。好きな人につくってやる料理と同じだと思うんですね。コーシーでも、好きな人には美味しく煎れてあげたいと思う。出来映えよりも味が大事。そして、味よりも美味しくつくろうとした気持ちが大事。それが料理を美味しくする。

 では、筆跡の残らないネット上での文章で、知性と重い槍とまごころを伝えるにはどう表現すればいいか――?

 インテリジェンスを醸し出すのなんてとっても簡単です。それっぽいことを書きゃいいんだから。堅いことばかり書いてりゃインテリジェンスが滲み出ている文章に見えなくもない。

 ただ、そういう文章を私はほとんど流し読みしてしまうし、すると頭にも残らないし心にも残らない。理由。堅いから。必要な資料であれば否も応もなく目を通さなければならないけど、奥歯を噛みしめながら読まなければならないような文章は、読んでも疲れるだけ。理由。私はたいへんな面倒臭がり屋だから。

 そこで重い槍とまごころというものが必要になってくる。重い槍というのは正しくは〝思い遣り〟と書きます。んなことはわかってる、とツッコまないよーに。

 林真理子という売れっ子作家がちょっと前に言ってました。この世の中でもっとも読みにくいのは、学者と役人が書く文章だと。私も彼女の考えには全く同感で、いまだったら、これにパソコンの解説書や携帯電話の取説も加わるのではないかと思っています。

 何故でしょう? インテリジェンスでのみ書かれているからです。

 彼らにすれば、それなりにわかりやすいように書いているつもりなのでしょうが、それは自分たちのレベルでの〝わかりやすさ〟なんですね。わからない人のための〝わかりやすさ〟が抜け落ちているわけです。わかる人にしかわからないことばっかり書いているお前に言われたかねーや、とツッコまないよーに。

 だから私にも欠けているところがあるけれど、彼らにも〝重い槍〟と〝まごころ〟が欠けているんですね。重い槍は正しくは思い遣りと書く、と書くとくどいと言われるから書きません。

 私の立場から言わせてもらうと、硬い文章を書く人は、知性でのみ生きていこうとしている人たちなんですね。そこには〝情〟というものがない。

 学者は特に、自説を押しつけるだけ押しつけて悦に入っている。ような気がします。そのわかりやすい例が『朝まで生テレビ』という番組。あの番組に出演する学者は、まず人の意見は聞かない。あなたの意見はわかりますがね、と理解の姿勢を見せたあとで必ず否定に入ります。

 その否定が、すなわち自説の押しつけへと発展してゆく。学者というのはそーいうものなのですが。テレビやマスコミへの露出がお好きな学者さんはとりわけその傾向が強いように感じられます。誰とは言いませんけど。

 で、そーいった人たちが世相や経済動向を読んだり、事件や法律を論じる。そーいった本もたくさんお書きになっています。しかし、彼らは〝固形物〟に関しては知的にまとめるけど、〝流動物〟に関してはまずほとんどいい加減なことしか言わないし書きません。ここで言う固形物というのは、主に法律などのきっちり固まったも
の。流動物とは、世相や経済動向や事件の行く末のことです。

 端的な例が〝酒鬼薔薇事件〟でした。少年Aの事件ですね。あのとき、多くの学者が犯人像をプロファイルしました。とりわけ大笑いだったのが、有名な犯罪心理学の権威とかいうセンセイと法医学のセンセイが〝したり顔〟で述べられた犯人像――。

 彼ら曰く、犯人の年齢は30歳前後で、ともするとそれ以上で学生運動の経験がある人物かもしれない。犯行声明の出し方やタイミングといい、この事件は、組織だった行動の経験がなければできない犯行だとか何とか。

 で、蓋を開けてみれば当時中学生の単独行動。そして、少年Aの身柄が確保されてみれば、彼らは一様に目を丸くして〝まさか中学生の犯行だったとは、驚きました〟と。あれだけ偉ッそーにプロファイルしといて。事実ですよ、これ。

 何なんだこいつらは。と笑ってしまった記憶がありますが、経済学者なんてバブルが弾けた頃から〝このままだと日本は沈没する〟と言っていて、昨年末にもまだそんなことを言っていた学者がいますが、私は日本が沈没する気配なんていっこうに感じないのだけど。私が楽観主義者だからでしょうか。答え。単に経済問題に疎いだけ。

 小泉さんが総理の頃には経済学者を財務大臣だかに抜擢したけど、結局は理屈ばっかりで改革らしい改革はほとんどできなかった。その大臣が掲げた政策を他の経済学者が大いに批判するという、見ていてとても楽しい時代でもありました。まさに小泉劇場。

 ということは、学者というのは法律のようにきっちり固まった〝固形物〟を知的に読み解くことはできても、世相や動向のような〝流動物〟に関しては当てずっぽうもいいことを言っているに過ぎない。と私などは冷ややかに見ています。いくら膨大な知性でモノを語っても、はずれてりゃ意味がないんだもの。はずれたところで誰も責任を取らないんだし。そこもお役人さんと同じ。

 純粋な研究の上にまとめられた書物には意味があるけれど、売らんがために書かれた学者の本ほど信用できないものはないのです。テレビに露出して知名度があるとか、顔が売れているから本も売れるという理屈ですが、そーやって出版社は読者を騙します。

 だから、学者や専門家が書いた売らんがための本は危険なのです。彼らが書いたハウツー本やマニュアル本はもっと危険。ハウツーやマニュアルは先人に倣いつつ、自分で編み出してこそ意味があるのです。と、どこかに書いてありました。顔が売れているうちに書いちゃいましょう、と突貫工事で書かれた本などアテにしちゃ鯉も.飼えません。私、ついにギョーカイの掟を破って本当のことを書いちゃいました。どーか忘れてください。

 というわけで、少し脱線して法律のお話を。少しと言いながらたくさん脱線するのが私です。すでにさんざん脱線しているじゃないか、とツッコまないよーに。

 法律というのは、それを破ることを許さない〝ルール〟を綴ったものです。法があるから私たちは安全に、かつ安心して暮らすことができるわけですが、しかし、そのために判例と前例とルールに則った生き方しかできない人たちがいるのもまた事実なんですね。

 それがお役人さん。彼らは、前例や制度だけをとかく大事にする。例外を認めることはまずしないし、しようともしない。それが文章にも表れます。お役人さんが刊行する書物の妻の走ること走ること。サービス案内のどこがサービスなんだろうって首を傾げてしまうくらい。

 よくよく考えれば、法律を制定するのは表向き立法府の仕事ですが、法案の〝叩き台〟を作成しているのは官僚なわけだから、法に〝情〟なんか求めるほうがおかしいのかもしれません。自分たちに都合のいい利権絡みの法案はすぐつくりますけどね。ETCの導入とか地デジへの全面移行とか。

 すると、それを管理する独立行政法人が必要だとかぬかして……、もとい、仰って結局はてめえたち……、失礼、自分たちが天下るための法人をばしばしつくる。法案作成イコール天下り先の確保。国家と国民のための奉仕より、まずは我が身の安泰とレールづくり。というのが知性ある方々の理屈です。それを封じようとしている政治家もいるみたいですが。

 しかしですね、私は思うのですよ。

 例えば刑法ですが、刑法には人を罰することばかりが何百項目にもわたって延々と綴られています。あーいうことをすると罰金だとか、こーいうことをすると禁固もしくは懲役に処するとか。つまりは〝科罰〟の経典です。科罰とは処罰のことです。

 そこで私は考える。どこで、とか訊かないよーに。

 人を殺めた人には罰が与えられる。これは〝加害者〟に対する処罰です。その最高刑が死刑。しかし、加害者がいれば当然〝被害者〟がいるわけで、遺族がいるのです。たいへん不思議なことに、法律は加害者に対する処罰は明記してあるのだけど、被害者と遺族は放ったらかしなんですね。

 遺族には突然の不幸に見舞われた〝悲しみ〟があるはずなのに、その悲しみを癒してやろうとする〝法律〟はない。極刑をもって罪人に償わせ、極刑をもって遺族の悲しみを癒そうとするのであれば、実に原始的な発想だ。と私などは思うわけです。法は弱者の味方だなんて謳っておきながら、実態は〝目には目を〟のハムラビ法典に則っているだけなのですから。

 争いの場を民事に移せば〝賠償〟というかたちで償わせる訴訟は起こせますが、要は金で解決しろと。あなたの家族が殺されたら、殺したやつに賠償金を支払わせて〝奪われた命〟とちゃらにしなさい。と言っているのが法律です。

 そーいうものなのでしょうか、世の中っていうのは。学生時代は法科に籍を置いていたのだけど、私にはずっとそれが疑問だったんですね。

 誤解を招く覚悟で言えば、法律は罰を与えることしか考えていない。罰することにのみ腐心し、被害者や遺族の心の傷を癒すことなんかこれっぽっちも考えていない。私は、それじゃ鯉も飼えないと思うんだな。

 心に傷を負った人たちが一日でも早く悲しみを乗り越えられるように、そして、そういった人たちが一日でも早く立ち直れるように、法律がそのサポートをすべきではないかと。それが近代国家の法律なのではないかと思う私です。

 法律を制定する立場にある人たち、その叩き台を作成する立場にいる人たちには、そーいった考えがないのだろうね。私が残念に思うのは、本当に手を差し伸べるべきところにインテリジェンスが活かされていないということです。彼らの知性は、天下り先を確保するための法案づくり――、つまりは堅くて難解な文章を書くことにのみ費やされている。政治家になろうかな、私。

 裏を返せば、堅いことを書いてりゃ知性の発露だと思い込んでいる〝幼い考え〟の人たちが学者とお役人さんということにもなる。と私などは思っています。だから私は文章でインテリジェンスを醸し出すのは簡単だと言いました。だって、わかる人にだけわかることを書いてりゃいいのですから。

 小難しい単語が並んでばかりいるとか、内容が難しすぎてよくわからないとか、多少の専門的な知識がないと読み込めない文章というのは、わからねぇやつは読まなくていいよ。という〝切り捨て〟の文章なんですね。あるいは、知りたけりゃ自分で勉強して来い、と。私は、これと非常によく似た表現を知っています。

 過去ログ読んで出直して来い――。

 皆さんもこういった表現を目にされたことが一度や二度や三度や四度……、あるいはもっとあるかもしれませんが、こういう言葉遣いには重い槍もへったくれもあったもんじゃない。と、思いませんか。それとももう、こういった表現を目にすることに馴れちゃったかな。

 で、重い槍とまごころ。そして、文章に表れる性格。

 虎の巻をひとつご披露しましょう。文章が巧くなるコツ、読ませる文章を書くコツです。プロが言うのだし、それを実践している本人が言っているのだから嘘じゃありません。たぶん。

 一言で言ってしまえば、〝五感〟で書けばいいのです。そのとき、自分を出す。

 これだけ。

 実に簡単。以上――、というわけにはいかないだろうし、このネタは以前にも使っているだろうとツッコまないよーに。

 五感というのは文字どおりの五感で、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚のこと。

 自分というのは、自分が何者であるかということをオープンにすることなんですね。

 たとえば、春の小川で生まれたてのメダカの学校を目にしたとする。そして、それを文章にするとする。こんな感じで。

『春の穏やかな陽光がきらきらと反射する小川で、生まれたばかりの小さなメダカが群れをなして泳いでいた。それがとても可愛らしくて、つい見とれてしまった』

 これでもいいし、雰囲気は伝わります。雰囲気だけで伝えるのもテクニック。

 でも、小川に手を入れてみて、それを文章にすると雰囲気はグッと変わるんですね。それが〝五感〟で書くということです。

 手を入れてみると、川の流れは思っていたよりも速いことがわかるかもしれないし、雪解け水で思っていた以上に冷たいかもしれない。すると、そんな冷たい水の中でも必死に泳いで、生きようとするメダカに対する気持ちも変わってくる。それが〝自分を出す〟ということにつながっていきます。

『通り過ぎる風が頬に心地よく、淡く緑色に芽吹いた木々に春を感じるようになると私たちは冬の装いを脱ぐけれど、ちょっと触れてみた春の小川はまだとても冷たい。でも、小さなメダカたちは、この冷たい水の中を泳いでいる。流れに逆らいながら、仲間からはぐれないように。私は、メダカたちから目を離すことができなかった。そして、思わず呟くのだ。頑張れよ、と。私は、私の心にも春が来たような気がした』

 たいがい私はこんなふうに書いてしまうのだろうけど……、くどいな。ちょっとくどいな。サッカーのブラジル代表並みにくどいな。いや、思いッ切りくどいな。あまり参考になる文章とは言えないけど、これは〝喩え〟ということでご勘弁。

 しかし、こーいう文章を添えることで、ニュアンスはがらりと変わるはずなんですね。そこには、私という人間の〝視点〟と〝自分〟が出ているはずだから。たぶん。だから性格も出ます。文章教室を開いているみたいです。ほんとに開こうかな、私。

 そして、最初に書いた〝とても可愛かった〟という表現。あなたが〝可愛い〟と思う基準を説明することが大事なんですね。それが自分を出すということ。

 顔を覗き込むと無邪気に笑う嬰児は可愛い。何故――?
 生まれたての子猫は可愛い。何故――?
 小川で泳ぐメダカが可愛い。何故――?

 もっとわかりやすく言うと、彼は優しい、という表現をした場合。優しさについても受け取り方は人それぞれなんですね。事件取材などでは毎回のように経験します。容疑者のご近所で聞き込みをすると、安奈……、じゃなくて、あんなに優しい人が、という証言を耳にすることがしょっちゅうある。

 そーいうときは、その人にとっての〝優しさ〟を把握しないとコメントとしても使えないんですね、私たちは。ある人は、レストランに行ったら椅子を引いてくれる男性を〝優しい〟と言うわけだし。

 あるいは、これだけ言ってもまだわからないか、と頬を引っぱたく男性を暴力的だと言う人のほうが多いだろうけれど、私にすればそれだって〝優しさ〟のひとつじゃないかと思わなくもなかったりする。手をあげるほうだって心は痛いのだし、それをわかって頬を張っているのであれば、激烈な優しさと言うことだってできるのですから。そのための取材でもあるわけですが。

 しかし、五感と自分を出しながら文章を書くというのはそーいうことです。

 重い槍とまごころというのは、相手や読む人をいたわる気持ちだけじゃない。どう書けばうまく伝わるか、読む人のことを意識しつつ、そこに自分をさらけ出しているか――、で文章は変わってくる。そこをお忘れにならないよーに。すると、それっぽい文章ができあがります。なんてね。

 土井スルーな方はとっくにお気づきでしょうが、自分を出すということは〝人を描く〟ということなんですね。ものすごい虎の巻なんだな、これ。私はけちん坊だからちょっとと言わずたくさんモザイクをかけますが、人が描かれていない文章は無機的にならざるを得なくなり、だから妻が走る内容で終わる。

 人を描くというのは、そのときのちょっとした仕草を書くだけでもいいんです。

 学者や役人が書く文章、法律、そして取説には人が出てきません。制度やシステムや解説が知性でのみ語られ、だから実に無機的で心に残らない。という理屈。私はそんなことをとうとうと述べてきたけれど、とうとうと述べている間、私は一人も〝人〟を登場させていないんですね。だから、きっと無機的で読みにくかったはずです。法律のことなんかも書いちゃっているから、堅くも感じられたはず。

 言葉を文章にして表現するというのはとても難しいことなのだけど、友だちとのつきあいや人を好きになる気持ちだと思えば難しいと感じることも臆することもないんです、実は。こいつが何か喋ると必ず恋の話に行く、とツッコまないよーに。

 何を話しても私は恋の話に結びつけることができますよ。何故なら、私は〝愛〟がなければ生きていけないからです。まりもには〝i〟を付け忘れたくせに、とツッコまないよーに。

 というわけで、誰かと友だちになる。誰かを好きになる。そのときにどーするかというと、始まりはやっぱり自分をオープンにすることからなんですね。自分を出さず、本心を隠しながらダチとつきあうことはできない。自分を出さず、隠し事をしながら人を好きになることもできない。

 と、私は思っている。自分から自分を出すことをしなければ、相手だって身構えたままでしょうから。互いに警戒心をいだきあったり、腹を探るようなつきあいをしたって本物にはならない。

 こんな言葉があります。キスのとき、瞳は閉じても心は開く――。

ある二枚目がこんなことをしょっちゅう言ってます。という冗談は置いといて、相手の心を開かせるには自分が心を開けばいいわけで、文章もこれと同じだと思えば難しいことなんか何もない。自分を出すとは、そーいうことです。

 ただし、自分を出し過ぎて〝ひとりよがり〟にならないよーにご用心。自分を出すことより、こっちのほうが難しいんですけどね、ほんとは。

 そこで常連さんの話。唐突ですが。どこで、と訊かないよーに。

 常連さんとはどういう人たちを言うのか――?

 ということをちょっと前にミクシィのほうで書いた記憶がありますが、私が〝戯れ言〟で取り上げた人たちというのは、実は、コメントの中で〝自分〟を出していた人たちでした。その人にはもう30年も弾き込んでいる大切なギターがあるとか、その人は周りを笑わせるのが得意なお子さんがいて、その子が風邪をひいたときに寝顔を見たら涙が出てきたとか。

 他にもありますよ。もちろん白犬なコメントも取り上げましたけど、どーしていつも爽やかなコメントを送ってくるんだこいつは、と思わせてしまう人とか、こんな失恋しちゃいましたという人や、今日が誕生日だったとか、11月20日にお子さんが生まれた人とかエトセトラエトセトラ――。

 その人の生活の一端が見えたり、その人の感情が見えるコメントは、読み手である私の興味をひく。好奇心を抱かせる。すると、この人に会ってみたいと思わせる。こーいうことなんですね。言葉にはそれだけの広がりと魅力があるのですよ。

 すると、余談だけど、私がどーして安奈……、じゃなくて、あんなお題を出してきたのかもおわかりいただけるかと思います。勇気というお題ひとつ取ってみても、さまざまな考え方がある。勇気をこんなふうに考えている人もいるのか、と勉強になる。私はとても勉強になった。

 身内ノリがどーちゃらと言っていた人たちは、残念だけどそこまで読みきれていなかったようですね。わずか500字のコメントの中にも〝その人〟が描かれていることに気づいていない。コメントは宝の山だとあれほど言っていたのに。歯医者さん行きだね。

 というようなことを、本当はまりもとお話したかった私です。

 人と人とのあいだにはどうしても埋められない距離や、逆に意識的に置かなければならない距離というものがあって、しかし、その距離は、自分が心をどう開くかによってうんと近くすることもできるし、遠ざけてしまうこともあるのだ。ということをだね。

 人を遠ざけるのは簡単だけど、遠くにいる人に近づくのは容易なことではなく、そのとき自分が〝何を求めているか〟で心の使いようがある。という話でもあります。たとえば、新しくできた友だちや好きな人に対して――、

 傷つくかもしれないと思ったときに、あなたはその人に心を開けるか。
 傷つくだろうことを承知で、それでもあなたはその人に心を開けるか。
 傷つくかもしれないと思ったときに、自分は心を隠して相手の心を探るか。

 家族に対しても同じだね。どれを選択するかで、その人の〝性格〟がわかる。

 傷つくことを怖れている人は、おそらく心を開かない。相手を喋らせるには相手以上にこちらが喋らなければならないのと同じように、相手の心を開かせるには、やっぱり自分から心を開いていかなければ鯉も飼えない。と私は思います。

 文章にも同じことが言えるんですね。無機的なものを書いたっていいのだけど、その文章に書いた人の〝素顔〟が見えるようなもののほうがよほど白犬で、文章が気持ちを近づけたり遠ざけたりすることはある。のではないかと。

 人柄を感じる文章は素敵です。その人の優しさが伝わってくる文章は、とても美しいです。私が書いたもので誰かの気持ちが癒され、誰かの心に優しさや勇気が芽生えてくれたら、私はとても幸せです。私は、いつもそんな文章を書きたいと思っています。嘘つきはいつも嘘をつきます。口が巧くなければモノ書きは勤まりません。

 しかし、私の書いたものを読んだ人は、××というモノ書きは絶対に二枚目に違いないと思うわけで、まりもや猫弾きのように実際に私と会った人は、やっぱり二枚目だったと思っているに違いなく、まりもにはその証拠をいくつか提示したのですが、たいへん困ったことに、この子は私が20歳になったときに生まれているんですね
。何てったって24歳だもの。夏の扉です。

「あのな、きみ。いまもそうだが、若い頃の私はそれはそれは厚顔……、じゃなくて、紅顔の美少年で、原宿や青山あたりを歩いているとしょっちゅうスカウトされたんだぞ」

 ほんとですか、とまりも。
 ほんとだとも、と私。

「しかしだ、こーいうときは、わかるような気がします、というのが大人の女の証しだ。精進したまえ」

 まりもはとても素直ないい子です。私の言うことをよくききます。

 ほんとによく声をかけられたんだよ、私。背後から肩を、ぽん、と叩かれ、きみ、いい身体してるな。自衛隊に入る気ないか、とか。というのは冗談ですが、モデル事務所とかそーいうところからはハンザツ……、じゃなくて頻繁に誘われました。どーいうわけか最近はありませんが。

「私はしょっちゅうディスコで踊り狂っていたのだが、そこで東京キッドブラザースのメンバーに勧誘されたこともあるのだぞ。それくらい私のステップは軽やかで、だから正真正銘歌って踊れるモノ書きなのだ」

 というさらに本当の話をしたところ、まりもはきょとんとした顔つきで、東京キッドブラザースを知らず、さらにディスコを知らないと言う。最初は冗談かと思った私。しかし、スーダン国境近くのエチオピアの町で知らないらしい。

 ディスコを知らないということは、日付が変わる時刻と閉店間際に店内の照明をうんと落としたチークタイムがあることを知らず、そのとき、どの女の子をチークに誘おうかというあのスリリングな一瞬を知らないということでもあり、ミラーボールの瞬きの中、チークダンスを踊りながら囁きあうあのうっとりするような喜びを知らないということではないか。

 あの良き時代はいまいずこ。これで青春も終わりだと呟いた私です。大阪生まれじゃありませんが。まりもが生まれる前の流行歌です。わかる年代の人にしかわからない話ですみません。

 というわけで、先週、けえ校長代理が新聞部員募集の告知を出したので――、この子は本当に行動が早いんだな。土曜日にそーいう話をしたら翌日曜日にはもう告知されてる。しかも、もう記事が掲載されている。驚き。仕掛けてますな。

 他にもいくつか企画を聞かされていて、そちらもそのうち動き出すのでしょうが、とりあえず新聞部が活動を始めるとのことなので、今回は文章についてちょっとばかり触れてみました。全然ちょっとの分量じゃないじゃないか、とツッコまないよーに。驚き。すでに14000字超えてます。今回はけえの携帯からアップする予定なので、リミットは15000字です。

 というわけで、この週末はいよいよ琵琶湖BBQオフ。黄金週間には早くも第二回中フ連サミットが開催される予定だとか。何のことかわからない方はミクシィ〝×××コミュ〟を覗いてみてください。伏せ字には私の名前がフルネームで入ります。アカウントをお持ちでない方への招待状もあります。

 BBQオフにはホットなメンバーが集いますが、熱さで琵琶湖の水が干上がらない程度に盛り上がってください。晴れるといいね。みんなで楽しんでね。

 前回、挨拶文のようなものを書いたら〝表〟を上回るくらいのコメントが寄せられて、その中で、つなとヂるのコメントで感じ入るものがあったので、今回はこーいうことを書いてみました。

 自分を出してこそ文章は光ります。理論武装された文章には、温もりが感じられない。
 自分を出してこそ自分も光ります。心の武装を解いたとき、あなたの温かさも伝わる。

 私は、そう思います。

 というわけで、今回もコーシーとチョコレートをいただきながら書きましたが、どーいうわけか三枚目のチョコレートには手が伸びない私でした。何故なのだろう。悩む。二枚目なだけだし、私。では。


追記:けえより
配達遅れました。大変申し訳ないです
校長より伝言です。
オーヤや前世紀のことを
名指しで否定してるわけじゃぁないんだよ、ですって。
じゃあどういうつもり?と突っ込むよーに(笑)


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コメント 67

やまだ。

今、恋してます。

これは、一日に数百通のメールが飛び交うMLサイトにおける私のステータスですが、恋が芽生える時というのは、こゝろに余裕があるときだと思います。こゝろに余裕が無ければ、人を観ようとする気も起きません。私は、今、恋しています。っと、これは前回のお話でした。

向かい合って交わす言葉と違い、メールやWebで交わす言葉…文章は、顔が見えない分慎重になります。え、あれで?と、某MLメンバは突っ込んでください。

どういう状況で、どんな表情をしながら、どんな想いで、私の書いた文章を読んでるのか…想像しながら書かないと、なかなか想いが伝わりませんね。伝わったのかどうかも、分かりません。ほんと難しいです。

ロンギヌスの槍、まごころを君に…じゃなくて…思い槍とまごころの文章。気をつけたいですね。
by やまだ。 (2009-04-17 14:31) 

やまだ。

連投になりそうですが、折角だし(どこが?)お知らせ~♪

BBQの様子は、時折、Twitter で配信します。

http://twitter.com/yabekenzo

Twitter 初心者なので、どこまで出来るかは分かりませんが、宜しければ @yabekenzo にフォローしてください♪
by やまだ。 (2009-04-17 14:36) 

ichigo

まいったなぁ。

読み終えて真っ先に出た言葉がコレでした。

ここ最近、表(と言えばいいのかな、NBOのことです)のコメントに何を書こうか悩んで悩んで悩んだ末に、どこかの参考書をコピーしたような感想文なのか論文なのかよくわからないことを書いておりました。イマイチだな、でもコメントは送っておきたいな、と無理してひねり出した理論武装の文章だった気がします。そうしたらコメントが掲載されていなかったりして、更に凹んだりしてました。

自分の内から滲み出る文章じゃないから違和感も不安も拭えなかったのだ、と25回のコメントも難しい感じで送信してから腑に落ちた次第です。もっかい自分の言葉で送っちゃおうかな。

私の書くコメントなどについて、中フ連オフの時に「書き慣れしている文章」と褒めていただいたのですが、それはどこかでぽつぽつとブログを書いている(HNはいちごではないです。というより学さん関係だけなんですこのHN。)からで、コメントに悩む時期でもブログの記事は筆が進んだりする。それは自分が感じたことを自分の言葉で書いているからなんだな・・・。「ひとりよがり」にならない様に気をつけなきゃ。

山歩きをして迷子になって、どうしよう・・・とべそをかいていたら、どこかで鈴の音が聞こえてきたような。ひとりじゃないんだなぁ。うれしいなぁ。聞こえる方に行ってみよう!そうやって前に進んだら意外とすぐ道を見つけた、というような感覚に陥ってちょっと興奮気味です。

これからキャラがちょっと変わるかもしれませんが、コンゴトモヨロシク。


琵琶湖オフ、いよいよです。先週4歳になりますます怪獣っぷりに磨きがかかった姫いちご(皆さんその節はお祝いのことばを頂き本当にありがとうございました)ともども、思いっきりはしゃいじゃおうと思います。


ちょす。

by ichigo (2009-04-17 15:06) 

ch-k

フレッシュ♪ フレッシュ♪ フレッシュ♪ 
ですね。わかります。
ってことは、私も同じオヤヂです。

思いやりとまごころ。大事ですね。

言葉から人柄が偲ばれる、その偲ばれる人柄が
あたたかい、やさしいものでありますように。

by ch-k (2009-04-17 15:15) 

はまちゃん

文章と女の子の心を掴むには、いかに自分をさらけ出せるか
なんですね。ついつい心に壁を作っちゃうおいらには、胸に突き刺さる言葉です。
先日も似たような事を彼女に言われたのは内緒です。
って事は、おいらの彼女はデケル奴なのか、、、って彼女に
”奴”は鯉も飼えないですね。デケルレディですね。

ちょっとずつでも、自分をさらけ出せるようにしていきます
by はまちゃん (2009-04-17 15:21) 

翼

学さん、まりもっちが「えーーディスコでどんな風に踊ってたのかみてみたいぃぃーー。」と、甘えてきても、決して踊って見せちゃあ鯉も飼えません。もう昔のように若くないんですから。。まりもさん、まなぶっちが、「スローなダンスは好きかい?」と、甘い声で囁いても、決してうろたえては鯉は飼えません。アノ人の真似してるだけですからぁ。。。(A.U.さんが説明してくれます)。
by 翼 (2009-04-17 15:35) 

oyasan

けぇさん 忙しい中、登校ありがとうございます。
クレーム対応 見事処理されたと信じております。

そして、校長先生、いろいろ気になる発言ありがとうございます。

校長先生のお嫌いな無機質な法学を学んだ者としては、おやさんは、法は無機質でもいいと思っています。法は基本であって万能ではないんですから。
ただ、校長先生のおっしゃるとおり、取り扱いに感情は必要。というか、心がないと無機質な法自体が見向きもされず壊れてしまいますから。

こんなことを書いていて、文章にも声にも、ほんと性格がでますよね。私も自分の文章には性格が出てますか? 出てますよね(笑) おかたい役人文章とまで言えなくても、やっぱり堅いもん。考え方も堅いし、文も堅い。これは個性だと思おう。
(あとあと、おやさんは地方公務員。見た目は一緒に見えるかも知れませんが、おエラい官僚さまたちとは一緒にしないでね。)

ただ、文章を手料理に喩えるなんて、ほんま鯉も飼えない人だ。白犬すぎます。
ちょうど森見登美彦『恋文の技術』を読んでいたおやさん、表現はいろいろだけど、結局は気持ちを伝えてナンボなんですね。ただ、おやさん、きっとそこに ひとつの壁がある。
壁なのか、衣なのか分からないけど、一枚自分を曝け出せていないなって気付いてる。

ひとりで出せなかったら、みんなに協力を仰いだらいいのかな。そんな仲間がたくさんココには集っているから。

この文章では心の距離、まだまだ埋められてませんよね? でも、これからです。ココからスタートします。降旗さん ありがとう。

追伸
初登校は、前世紀さんがされたけど、おやさんも原稿1本用意してます。今日の戯れ言参考に もうすこし、自分をオープンにできるか手をくわえてみます。


勤務中に学園で勉強している、くされ地方公務員ではあります。たしかに自己防衛のために、あえて感情を殺すこともあります。習慣とは恐ろしいもの・・・。

ただ、そのことが自分を殺している気もして ××さんには勇気と涙をいただき、NBOや学園の人たちに 潤いをもらってます。
なかなか旨く言えなくて、なかなか表現できなくて、上辺だけの感謝じゃ伝わらないけど、ありがと
by oyasan (2009-04-17 15:48) 

AP2

けえ校長代理
昼休みを削ってでもブログを更新していただき,ありがとうございました。
けえ校長代理のがんばりに常々とても感謝しています。それから,あまり無理しないようご自愛ください。さらに1万5千字の文章も携帯から更新出来るなんて凄ごすぎと,感心しきりです。

校長先生
 この学園への初登校(投稿)の時に書いた自爆ネタですが,私,標準規格を作る手助けをしてます。ので,法律,規制,お役所の審議会等については特定分野限定ですが内部事情も含めて他の方々よりは詳しいです。もっとも守秘義務を忠実に守っていますので,公表しては鯉も飼えない事項に関して取材申し込みを受けてもお答えできなません。念のため。
 でも,大校長に対して無謀な抵抗をひとつだけ。ルールを書く時の文章は行間と想像力を発揮させて読ませちゃダメなんです。当然,読んだ人が解るように書かなきゃ鯉も飼えませんが,読む人が自分のイメージを膨らませながら解釈するような書き方はご法度です。ガチガチの硬い表現で意図的に書きます。
 で,この話のオチ。
 ルール本文が難解なので「×××解釈」とか「解説◎◎◎」とかいうタイトルを付けた著作ビジネスが成立します。これはスーダン国境近くのエチオピアの町(叱られないようにチャント省略しないでコピペで書きました。ヘヘッ)ですが,当然のことごご存知ですよね。
 これって本末転倒ですよね,あるべき姿から見れば。解説本出版するぐらいなら,本文をわかり易く書け!ってことは皆さん仰います。でも,残念ながら日本の現実は理想どおりになっていないことが多いです。
 文筆のプロに向かって寝ぼけたコメントしてしまいました。
 では,また
by AP2 (2009-04-17 16:19) 

AP2

コッチでも,多投して魔麩。へへッ(^^ゞ

 校長ともあろうお方が職権乱用して,生徒でもある新入社員を呼び出してシークレット面談したようですが,学園の関係者が同伴していたようなので,教育委員会とマスコミに匿名告発するのは自重しました。ナンチャッテ。(悪乗りしすぎですね。スイマセン)

 今日のお言葉,本当に学園の講義みたいですね。戯事とは思えません。(じゃぁ なんなんでしょうネ)

 伝わる文章の書き方って意味で,巷に溢れる「文書の書き方マニュアル系」の図書と比較するまでもなく,大変勉強になりました。もっとスバラシイ事に無料だし。

 文章がうまく書けないことを自認している私は,結構書き方マニュアル系の図書を沢山読んでます。印象に残ってる本は「日本語の作文技術」本多勝一氏の著書ぐらいで,その他は購入するたびに後悔してます。ケド懲りずにタイトルに釣られて買ってます。その分,黄色の帯の著書を何冊も買って,何処でも繰返し読めるようにしておいた方が良いのかもしれませんね。
 それに読むだけで実践できなくて,作文技術の教えが一向に身についていません。どっかの短・短を見れば一目瞭然ですので先刻バレバレですよね。

 来週はGW前の特殊時期なので年末みたいなサプライズがあるのでしょうか? 学園の講義はあるのでしょうか? もしかしてNBOと学園とmixiで3箇所同時進行戯事でしょうか? キットなんか新たな仕掛けがありそうだ,と勝手に期待しています。
では。
by AP2 (2009-04-17 17:01) 

こぼたん。

序盤でかまして、中盤で今一度伏線をはりつつ、もう終わりよんと流して、最後に決める。正しい二枚目なだけだしの技巧にうっとり。というのが本題ではないのだな。

心を閉ざす、壁を敢えてつくる、距離をはかる、そんなこんなで無意識に対応してしまうとき、想い出す言葉は「かっこつけるな」

やせ我慢のかっこつけこそが、美学だじぇと自己満足に浸っていても、かっこつけてる姿はそれほど美しいものではない。そんな暇があれば、等身大の自分をかっこよくしろって、よく言われたものだ。

「かっこつけて」と「かっこよく」は違う。今の私はどっちだろ?
はぃ、皆さんご一緒に~。悩む。小坊主だし、私。
by こぼたん。 (2009-04-17 17:50) 

kk

コメ貼ったところが見つけにくいかもしれないので「愛を込めて」こちらにも貼っておきます。なお、メタボの方にはこれを食べる前後にはしっかり運動することをお勧めいたします。

○お好み焼き風もんじ焼きはいかが?

まずお好み焼きと同じくらいに小麦粉を水で溶きます。それに卵、ねぎ、しょうが、あおのり、鰹節、さらに醤油を少々加え(えびを入れても可)、あとは普通のお好み焼き(パンケーキ)風に焼きます。焼きあがったらそのまま食べてもいいです。マヨネーズやソースをかけてもいいですが。私は何もかけずに食べています。
ここで最低限必要なのは、「卵としょうが」。この二つがないともんじ焼きとしての風味がでません。そのほかは入れても入れなくてもOKです。あとお好み焼きとの違いは、原則具は焼く前にすべて入れておくこと。鰹節や青海苔などを焼いた後に振り掛けるとお好み焼きになってしまいますのでご注意ください。醤油またはソースは焼く前に入れても、焼いた後かけてもOKです。マヨネーズはさすがに焼いた後限定です。
なお、小麦粉を溶く水の量を倍程度にしたものが本来のもんじ焼きです。
by kk (2009-04-17 17:51) 

けんづる

けえたま。お忙しいところ貴重な時間を割いてまで記事アップしてくれてありがとデス。

ご指示どーリ。F様。じゃあどーいうつもり?

しかも、タイミングを計ったかのようにパラマたん。。。は団扇の呼び名(しかもけんづる一人しか使ってない)なので、本文に倣って前世紀。いや。本人は元保険屋を名乗ってるからこっちのほうが良いのか?。。。などと悩んでる場合ではなくて。
に、超文を投稿させておいて。
この策士さん。麩麩。

。。。と推測でものを書いては池。。。いや鯉も飼えないのでした。

F様。けんづるの米に感じ入るものがあったとしたら、それはとても光栄なことです。
だけど、内容はまったくもってつな缶の反復(もしくは受け売り)ですヨ。

しかも、つな缶のコメントがなければ、間違いなくけんづるはあのコメント書けませんでしたヨ。
人の作った波に乗る「こっすい」ヤツですから。麩麩麩。

「こっすい」の意味が知りたい人は黄金週間に名古屋に集結!!
そして熱くなって琵琶湖を蒸発させてみたい人は今週末BBQに参加!!
この二つのビッグイベントを見逃しては鯉も烏賊略。




で。なにが書きたかったのかなぁ。。。。忘れちゃいました。


が、これだけは言っておきます。
F様。好きな人には料理は作ってやるのではなく、食べてもらいたいと思うのが乙女心では。。。
そんな重箱の隅をつついては鯉も烏賊略と突っ込んで蔵灰。麩麩麩。

追伸1:やまだち。ついったぁ?て何?

追伸2:ちさとん。いやch-k様。聖子ちゃんのこの歌を知ってると、やっぱりおやヂなの?
by けんづる (2009-04-17 18:08) 

まちるだ

ひさびさ登校のまちるだです。

お料理とお化粧はひと手間で仕上がりが全然違うのです。これほんと。

手間をかけてでも おいしいものを食べてもらいたい、という気持ち。
時間をかけてでも もっときれいに見てもらいたい、という想い。

これは好きな相手に対して生まれる自然な気持ちですよね。
女性目線ではありますが。

りょうりはあいじょー!!

とよく言いますが、文章もあいじょうなのですね。
読む人を思いやるひと手間を忘れないようにしたいです。

といっても相手によって書き方も変わってしまうし
不特定多数に対しては難しい話ですが。

そこがいわゆる「さじ加減」というやつでしょうか。
おいしい文章を書くのにも修行がいりそうです。

上手な文章がおいしい文章とも限らないですけどね。
料理が見た目だけで決まらないように。

本日もおいしい文章をありがとうございました。
見た目も味も量も大満足です。

ごちそうさまでした。

by まちるだ (2009-04-17 18:29) 

ぴんぽん

けー校長代理がK'sカフェを始めたときに衝撃を受けたのですが、今までその理由を誤解していたようです。てへ。

ただみんなのコメントにレスしてたんじゃなくて
(それでもすごいことだと思っていたんだけど)
そこに自分を含めることで他のコメンターとの距離を一気に縮めていたからなのですね。

うーん。すごいことだつ。
校長の書いたもの読んで校長代理を褒めるなと
突っ込むところです。
by ぴんぽん (2009-04-17 18:38) 

猫目

けえたんご苦労様-。
校長先生の訓辞は長いんで大変で素。
長すぎて、後ろの方で倒れてる生徒が居てるかもね。\(^_^)/
にしても、校長先生らしい訓辞やったね、今回は。

ってことで、みんな米欄では自分をさらけ出しましょう。(^_^)
by 猫目 (2009-04-17 20:13) 

つな

「傷つくだろうことを承知で、それでもあなたはその人に心を開けるか。」 

その人をもっと知りたい...どんな想いでそこにあったのか?
自分の想いも伝えたい...あなたが伝えてくれた想いに
心が動いたから。

そんな気持ちになったら、傷つくことがわかっていても
進むことができるはず。一歩ずつ、自分のペースで。

傷ついても傷つけられても やっぱり人の優しさに涙して、癒される自分がいるから...想いに突き動かされたときは、傷つくことなんてきっと考えない。

そんな人にたくさん出会えるといいなと思います。
いつも勇気をありがとう。
いつかきっと! を叶えるために。
by つな (2009-04-17 20:17) 

Z

書記のくせに文章が苦手で、いつも書くときは凄く時間がかかります。
やっぱり直接会って話さない上手く伝わらないと思っていました。
サービス業をしているし、直接会って伝えるのには自信もありました。本当の事もそうでないことも(嘘つきはいつも嘘を・・・)
でも、最近文章で伝えた事が、言葉で伝えた事よりも何倍も強く相手に伝わることもあるんだという事を経験しました。
得意な話でいつものように伝えた言葉より、苦手なので何回も書いては消して、書いては消し手を繰り返した下手くそな言葉の方が強く伝える事が出来ました。何回も読み返してもらえる位に。
思い返せば、運動会では一番足が遅く、フォークダンスでは一番下手だたのにそれが本職となり、学級会で司会をすればまとめられず憧れていた女の子に代わってもらっていたのに、今では年に5回は結婚式の2次回の司会をすることに・・・

あのとき苦手だからと言って避けて通らなくて良かった。

今回、文章の書き方について教えていただきましたけど、人と話すときも一緒ですよね? 文章を書くときだけじゃないですよね?
自分は話をするのが得意だと思って、忘れかけていました。
きれいにまとめようとしていました。

伝わりました。

ありがとうございます。

BBQでは沢山話をしてきます。

Z
by Z (2009-04-17 21:47) 

A.U.

まずは・・・

けえちゃん、2週連続ご苦労様でした。

校長先生、2週連続の珍事投降ご苦労様でした。

さて、わたしは正直なところびっくりしております。
確かにA.U.と言う本当のイニシャルをさらけたときから
愛の説教部屋を経て、自然体に入っていったのですが
××さんがそのように受け止めておられるとは思いも
しませんでした。
私としては、素直に喜ぶべきコトなのだと思いますが
『無意識』と言うのは板抱けませんね。抱くのは○○だけで
いいのだと思っていますが。伏せ字にはネコや炬燵や
小判など、色々入れてみて下さい。決して20と言う数字は
入りませんよ。
で、無意識なことを(やったことを)肯定されると言うのは
どうもあまりにも『天然』っぽくって、これじゃぁまるで、
猫の兄さんに『らしいな』とネタをさらけているようなもので
私としてはやはりキャラクターが固定されるような心地です。

さて、ギターの人は良いとして、私の先に書いたウルトラマンを
倒したという伝説のイケメンでウラメン爽やかナンバーワンの
人の※を自分の※を書きながら見ました。やっぱり人柄というのは出ますね。
実際にはこの人だけでなく、多くの人と出会えたのが私としてはものすごく嬉しいのですね。まだ出会ってない人達も沢山居るのですが、活字という方法でのコミュニケーションでも、十分に人となりや、人柄というのが伝わりますよね?最近とみにそのように感じます。もしかすると、××さんやその他のセンシティブな人達の感性が感染しているのかもしれませんね。
基本、私、乱雑で乱暴でいい加減なので。(^^)

で、何が言いたいかって?
降旗さん、ありがとうございます。
私たちに沢山の機会と可能性を頂いて。

今週末は新しい友人達に家族を紹介します。
レイの6歳児と、9歳の娘と、走らない妻です。
家族に既知とまだ見ぬ新しい友人達と会って貰えること、
そして、新たな友人達に私の家族を紹介できることを
本当に楽しみにしています。

また楽しそうな映像を取っておきますよ。泣いてね、××さん。

草々

A.U.

by A.U. (2009-04-18 00:08) 

やぎ座

かーみを きぃーったー わたーしに♪

 「おかあさん せかいいち かわいいょ。」

と、美容院へ行った日には、子供たちに言わせているやぎ座です。


この数年は、ソフトウェアのマニュアルを書いて
給料をいただいてます。
確かに難しいです。

初めは、開発者が書いた設計書をもとに、
マニュアルに書く内容を考えていました。

んー、わからない。
自分が理解できないものを、お客様に理解して
いただけるように書けるわけがないじゃない!
と思い、

自分の技術レベルを上げて、難解仕様を理解するように
努力してみましたが、すぐに挫折し、

そんな難しいもの、使えない、説明できない、と、ごねて、いえ、
もっと使いやすい設計に変えるよう説得し続けました。

このごろ、やっと、お客様はこんなときどうするだろう?
こうしたいんじゃない?
という議論が自然と出てくるようになりました。
嬉しいです。

仕事相手は機械じゃなくて、ひとだもの。

話違ってきました?


心を開いているか?
相手によって、開き具合を変えています。
聖子ちゃん明菜ちゃんをリアルタイムで見ていたくらいの
年ですから(^_^;)
距離をおくことで、自分を守ることを覚えてしまいました。
鯉も飼えませんね。

ずっとずっとずっと閉じていた扉を
昨年、思い切って開いてみました。
開いてよかったと思っています。
少し近づけた気がするから。
すべての扉を閉ざしたくなっても、
暖かい光がそこから射してくるから。

by やぎ座 (2009-04-18 00:41) 

やまだ。

追記がてら、歌います♪


 ココロのまよいを ふりきって 勢いつけて 元気よく
 アタマを回すと 世界が回る ♪

はい、私は良く歌います。ふだんから、ず〜っと何かを口ずさんでいます。街で、あやしいおぢさんが鼻歌三丁矢筈斬りをしてたら、8割ぐらいの確率で、やまだ。です。にょほほほほ〜。

いけない(あえて…烏賊略)、イケメンということにされてるんでした。

自分らしい文章、こゝろを開く。どっちも、「理解」できるには先が長そうだなぁってことだけは、分かりました。ま、まずは、それでよかろう、と、自分に言い聞かせてみます。

to づるたん

えっとねー、赤とか青とかの●が書いてあってねー、ルーレット回して、当たった色の所に手とか、足とかついてくの。xxさんとか、好きだと思うよー♪

by やまだ。 (2009-04-18 05:39) 

NO NAME

え?あ,ここのコメント欄ってのは1万字までOKなんですか.凄いなー.私が使ってるblogはそうはイカンのだが,というのはさておいて.
まー,折角なんだし,タラタラと書いてみるとどの程度になるんやろかー,という好奇心と本エントリーの撒き餌に食いついてみるのもよかろー,という話で.アクションに対するリアクション.1つの考えに対して1つの別の考えを提示.

てなことで,以下は長い上に本エントリーに対してそれたことが延々と述べられます.しかも通りすがり的に誰が書いたか分からんけども,分かる人には誰だか分かる文章.時間も暇も無い上に,本エントリーだけしか見たく無い人はこのコメントはすっ飛ばせ.

てな文面に,ムカッと来たら,ルル3錠.

お時間無い方は次の「★★★★★」までジャンプして下さい.

★★★★★

とある文筆家がこう言ったそうだ「この世の中でもっとも読みにくいのは、学者と役人が書く文章だ」と.この一文を読んでどう思ったろうか.
私はすぐさま(って“珠玖様”って何だよ,しっかりしてくれM○-IME・・・)こう思った.「一体,この人はどんな人のどんな文章を読んだんだろうか?」と.法曹関係のことを書いたところで,面白い文章が続くとは思わなし,きっと筋のいい文章がどなたから入るだろうから,学者の書いた文章とやらについてダラダラと書いてみよかいなと.なので,この時点で興味が持てなかった人はやっぱり下の方にある「★★★★★」というマークまで飛んで下さいませ.念のため.

さて,学者の書いた文章.まぁ,そりゃ大概の場合「論文」と言われるもんではないか,と.

んじゃ論文というのは何じゃろかいな,と.
トーシロが思うに,だ.論文というのは事実の列記と論理の展開.そして必要なのは再現性とデータの提示.これに尽きるのではないかと.サイエンスというのは理屈と条件があっているならば,誰が行っても確実に実現できることだから.

そこには生憎と思いやりも無ければ,暖かい心ということなんぞあらしません.あるのはただただ,論理と事実の展開のみ.


ある学者が師事していた師から「私のした仕事でも間違っているところがあれば,徹底的に訂正し,間違いを訂正しなさい」と言ったそうな.その弟子はその教えを忠実に守り,師の仕事を全て片っ端から否定していったそうな.

なんだか聞いたことのある話ですいません.つまりは仕事の内容に間違いや問題があれば,誰の研究だろうと関係ないよ,ということが言いたいわけでして.だからと言って人としての礼節は不要,と言うてるわけじゃないから揚げ足はゲソだけにして下さい.と,いうことで,イカは揚げ足を気にせずタラタラと続きます.

ええ,知の前には情も情けも不要ですばい.

だからもって,専門外の人間が「何を書いてるか,さっぱり分からん.もっと分かりやすく,簡潔な文章で書け!」などと怒鳴っても,全く意味ない.端的に言ってしまえば,だったら分かる様になれ.
ん?なんかどっかでこのフレーズを読んだ気がする?何かのコラムで?

いや,私は存じませんが.3日もすればすっかり記憶が無くなる頭なので,私.

元気に脱線してしまうとdebateとdiscussionってのは違うのよ.ちなみにテレビが好むのはdebateね.だから,例え学者でテレビに出たとてdiscussionなんてのはできるもんではなくて,1瓶のカルピスを25mプールの水で薄めたくらいの内容でdebateとは名ばかりの茶番をしてみせるだけ.日本のテレビでまともなdiscussionなんて見たことないぞ.と,いうよりもテレビでdiscussionなんかして,どないするねんな.内容が分かってない人間がdiscussionに参加できるわけもないし,したところで面白くもないし,参加できんでしょう.ちなみに研究者が集まってdebateを楽しむ,なんてことを学会でやったりします.discussionの余興としてね.

こんなこと書くと5階が2階になりそうですが,学者や研究者が行うdiscussionというのは次の着想や煮詰まってる問題を違う意見を持って,更に内容を深めたり新たな着眼点を得たりするためにやるのです.視聴率を求めてのことではありませんし,ウケ狙いでもありません.そこに笑いと慈愛はあるけれど.

極端なことを書いてしまうと論文を書いた人は実のところ,どーでもいい.とっても極端な書き方をしてしまうと人格破綻者であってもどーだってよい.論文の内容さえ良ければ.

いやー,いるんですよ.
論文は素晴らしいし,研究内容もピカイチ.名前を出したら日本人のほとんどは知ってるような方だけど,喋らせてみるとこれがまるでてんでてっきり.だからって,その方の研究業績が減じられるものではないんですけどね.
これは日本人じゃないけど,やっぱり論文は素晴らしいし,研究内容もピカイチ.名前を出したら,そのギョーカイの人ならほとんど知ってるような方だけど,私生活はとてもとても...個人的な性格も,ちょっとお友達にはなりにくいなー,って方が.いや,先方の方がこちらを友達には見てくれるような御仁ではないでしょうけども.
なんて,エライ人を出さずとも,知り合いというか先輩には研究内容は凄いけど,説明や論文にするとどうもね,という方が.なんて,物凄く身近な話をしたって,だーれも分からんでしょうから,さておいて.
おっと,こんな人ばっかりじゃないよ,きっと.特異な例を出したまでです.念のため.

ただ,その論文なり研究業績の評価となると違ってくるわけです.

ある学会だと論文の採否については覆面で投稿し,査読者は内容だけで判断して評価.本文の内容で誰が書いたか分かるような書き方(例えば「以前,我々が行った研究で」と書いて,参照文献を示していたりする場合など.)をしていたら,その時点で却下.事前に却下できなくても,査読者のチェックポイントにそういう項目があって,複数の査読者が評価する.集計して採否の確認となるんだけど,査読者自身もここで試されるわけですよ.読み間違ってないか.良い内容なのに,自分が読み取れなかったせいで間違った評価をしてないか,とかね.

てなことで「著名な学者の書いた論文なら,ホイホイと採用されるんじゃないの?」という疑問は,確かにそういう学会もあるっちゃあるけど,そうでないとこもあるのよ,ってことで.で,たまに「え?何でこの論文が採択されたの?」なんてのもあるのは,人の為せる業.機械やクジで決めてるわけじゃないよ,と思うことにしましょう.

だから論文は査読のある学会やその手順が明白なもの程,評価が高いわけです.自然科学界ではScienceやNatureの論文掲載(コラムじゃないよ.)が権威とされるのは・・・イカンなー,脱線しだすと話が止まらんぞ.
あ,そうだった.サイエンスやら論文例としてNatureなんかのを出したから何だけど,別に自然科学界でなくとも,それぞれの学会で相応に権威がある,というのは相応なことをしてる,と思うんですけどね.多分.そこらの話はきっと有能で心優しいノンフィクションライターが記事にしてくれるだろーから,それを期待して待ってみよ~.女性からのファンレターとチョコレートが1ダースあればいいそうだし.

さて,ここまでだと,どこにでもあるよくある話.

ちっちっち.
ここまで読んだ方には損はさせませんぜ,お客さん.
こっからが本番です.ここまでは露払いにして前置き.多分,何かのコラムで慣れておられる方は・・・あ,文章がツマランから比べるな,と.ごもっとも.

とはいえ,ムダに量だけはあって,原稿用紙換算すると,えーっとここまでで7枚くらい.

ところがね・・・こうした論文でも,不思議なことに差があるんですよ.内容の差,というのもあるんですが,そうではなくて,どうしてそうした研究をしたのか,とか,動機と言われるところの更に核心の部分.これを「論文の向こう側」なんて言います.いや,私だけです,こんなことを言うてるのは.も少し言うなら「行間に溢れる情熱」とでもいいましょうか.
あるんですよ,こうした論文でも.そうした論文は内容の迫力が違うし,研究の踏み込み方がまるで他とは違う.論文の長さでもないし,図や写真やデータだけじゃないんですよね.何がどう違う,というのをうまく書けないのがマダマダ阿呆な証拠なわけですが.

それでもそうした論文は読めば分かる.私みたいな阿呆でも.

あ,凄い,これは.

って,倒置法で思うくらい.少し読むだけで分かる.正確には,分かることもある,だな.

おー,凄い,こういう論文,書いてみたい.

なんて思うんですが,私が書いたのはどーも評価がよろしくございません.

そうそう,ついでに.
標準化,とか,規格化,ってのがあって,大抵はそうした文章って難しいし,無味無臭です.そして,大抵の人が読む場合.パンピー,って言うんですか?こないだ,とあるコラムで仕入れた単語なんですが,使い方,あってますか?
ところがね「なんでこの規格になってるんだろうか?」という読み方をすると,これがまた違う世界が広がるわけで.まー,中には規格のための規格,ってのもあるそーですが,そんなツマンナイことはさておいて.
例えば・・・そうだなー,皆さん,今,この文章,何で読んでますか?パソコン?携帯?まー,なんでもいいですけど,そだな.じゃ,パソコンにしましょ.
で,最近のパソコンだと確実にUSBなんつー規格の端子が付いてると思うわけです.あ,今パソコンの横見ました?それです,その穴ぽこ.もしかしたら後ろ側かも知れませんが.携帯だからんなもん無いって?いや,最近だと携帯にもUSB端子が付いてるものがあったりするんですよ,これが.
で,このUSBだって,ちゃんと規格が決められているんですね.そんでもって規格を定めた文章ってのがこれがどっちゃりこと,枕にするには十二分なくらい.知らない人が中身を見たってなんのことやら,どこかの古文書か魔法の呪文かと思うかも.それなりに知った人が見たって,結構難しい,かも.だからもって,どういう内容なんだ,ってな補助参考書なんかがたっぷり出ていて,これがこれで結構いい値段してたりするんです.

でもね.

その規格,何でこの規格になってるんだ,という見方をすると違う世界が見える,と思うのです.USB端子をよく見ると,両脇はちょっと長くて真ん中2つがちょっと短い端子になってるのが分かると思います.見難いけど端子の中を覗いてみてちょーだい.え?端子が4本じゃない?そりゃ違うヤツです,きっと.

これ,理由があるんです.

伊達や酔狂,エイヤで決めたり,冗談やジョークで決めたりしてるわけじゃないのです.説明したとて「なーんだ」ってなもんですが,規格の意味や意図が分かっていれば大した話ではない.その理由は・・・大したことじゃないから恥ずかしくてここでは書けません.冬になると多くの人が悩まされる,アレと理由は同じですから.

あまり大した例ではなかったけども,標準化や規格化ってのは大抵は最先端の情報を握ってるところが強いわけです.つまりは自分から動いた人にアドバンテージがあるわけで.どこかで聞いたフレーズですな.
それが工業製品なら新製品をさっさと送り出したり,国際間の取り決めなら貿易などで出し抜けたり,それなりの見返りを受けるわけです.もしくは,そうした規格の解説書を作るとかね.

んー,ちょっとした脱線のつもりだったのに,結構長くなったかなぁ.まぁいいか.

さて,最後になりましたが,学者や研究者が研究活動をするの何故か?

もっと次の研究をするために.

と,思います.きっと.

こういう例えをしてみましょうか.
木がありますよね.大きく育ち,葉が生い茂り,花を咲かせ,実を結び,そして更に増えていく.論文,というのは丁度,木に生い茂った葉の様なもの.葉はいつか枯れて木の根元に落ちて,そして次の葉が茂り,花を咲かせるために木の栄養になる.蝶や鳥が集うために.
確かに葉の中には立派な葉もあれば,小さな葉もある.花が咲くかなー,と思ったけども蕾のままで落ちてしまったり,花は咲いたけど実を結ばなかったり.
でもね,どれもこれも,木が大きくなって,更に木が森になるにはとても大切なんです.

さてさて,んな文章書いてるお前は学者なんか,ってツッコミがありそうだけど,そりゃ違うと今のところは言うておきます.はい,ちゃいまっせ.今後も違うでしょう.
私が書く文章だって,ここまで読んだ方なら,どの程度のもんか,分かるっしょ.

そんなわけで本エントリーを読んで,対論とまではいきませんが,1つの別な考えを提示してみました.10の意見があれば10の反論があってもよろしきや?なんつって.
もしかしたら,この世のどっかに「真理」とやらがあって,常に正しい答えとやらがあるのかも知れません.が,生憎と私の手はそこまで長くないもんで,私の伸ばせる手の長さは今のところこんなもんです.
なお「真理」と書いて「しんり」と読みます.マリちゃん,ではありません.なんてことを書くのは他の方にお任せして,奥ゆかしい私はそんなこたぁ思ったところで書きはしません.念のため.
★★★★★

以上,結構長いなー,とは思ったけど,大した量じゃないのね,これって.限界量の半分にもならないのね.
撒き餌に食いついたけど,消化するにはちと早かったみたいです.

by NO NAME (2009-04-18 07:11) 

NO NAME

主張を箇条書きで書いたらどうなるか.

★1つの意見があれば別な意見があってもいいと思います.
★論文とは論旨と事実の展開が全てで,そうした論文は研究成果の1つだと思います.
★混同されがちですが,debateとdiscussionは違うものだと思います.
★情緒的なものがないと思われる論文でも,情熱や感情の篭ったものもあると思います.
★立派な研究や論文を書いた人間が話し上手とも人格者とも限りません,逆もまたしかりだと思います.
★研究とは次の研究の為にあると思います.
★などとダラダラとコメント欄に書かれた文章を信用してはいけません.

てなところかしらん?
でも,実際問題,よく書けた論文だとかってのは分野が違っても読め・・・ません?

by NO NAME (2009-04-18 09:58) 

A.U.

やっと(a)の人みーっけ!
NO NAMEさんって言うんですね。
白犬な仕掛けをありがとうございました。


あう
by A.U. (2009-04-18 10:12) 

みつりんご(元rhsy)

NBOの今週のコラムとリンクしてしまいました。

自分の意見を如何に伝えるかというスキルが残念ながら日本の教育では重視されていません。そんな我々がインターネットという好き勝手な事が書ける、しかも自分が誰なのかを明かさずに意見が書ける、そんなツールを手にした現在。思いやりのない文章を書いていると、レニーの様にいつか撃たれてしまうのでしょうね。しかも、身内と思っている人から。

過去ログ読んで出直して来いーー

せめて「検索してみてね」「FAQに出てるよ」と書くべきでしょうね。それがキツい書き方になるのは、日本でのインターネットのルーツが、校長が思い遣りがないという学者や研究者が集う大学や研究機関を結んでいたネットワークに端を発するからかもしれないですね。
もっとも、当時は今より記憶領域も通信速度も一桁も二桁も少なかったので、純粋に技術的に校長の様な長文を載せるだけのスペックはありませんでしたが^^;

目には目をのハムラビ法典。

目をやられたら、やり返して良いのは目までだよ。つまり、やられた以上にやり返しちゃ鯉も飼えないよという解釈もあると聞いた事があります。日本の現行法では許されていない加害者への罰を被害者が行う時の加減の目安だったのではないかと思います。被害者が加害者に自身で手を下す、仇討ちの様な場合、加減を間違うと被害者が加害者にもなり、そこにはまた新たな被害者が生まれます。それが繰り返されると、結局誰も幸せにはなれません。やった分までなら加害者の周りもなんとか納得できるでしょう。
こう解釈をするとハムラビ法典というのは、加害者への罰と被害者の心の救済、なんとかバランスさせられる人情味のある法だったのではないかと思います。
by みつりんご(元rhsy) (2009-04-18 13:46) 

Old Y

簡単に言ってくれますね!

>一言で言ってしまえば、〝五感〟で書けばいいのです。その>とき、自分を出す。

>これだけ。

これが出来ればたいがいの人は物書きやってけますね(笑)
でも、「ひとりよがりではなく、自分を出す」やってみます。

あっ、思い遣りを忘れずに・・・


おるでぃ

by Old Y (2009-04-18 20:38) 

R.S.

R.S.です。
実は映画はあんまり見ないので(オイ)、表コメはお休みしてます。
さまざまな掟があって語れないでしょーけど、戯言とコメの盛り上がりの評価はリンクしてるのかも、と思ってもいます。

「距離の話」
私ね、がけっぷちまで行きましたよ。
自分が立ってる隙間もなくなるくらいのがけっぷちまで。
優しさとはの回のとき、ちらっとコメントしたことあったけど、あんまり家族がうまくいってなくて、子どもの頃から間に入って、なんとかつなごうとがんばってた。空回りし続けてた。
もし私がもっと良い子だったら仲良くすごせてたのかな、とか、オトナになってからも思ったり。

その考えがおかしいと気づいたのが去年のことでした。
(そーとー時間かかってます)

距離やラインは、自分を守ると同時に、相手を個として認めること。認めている証。
うまく伝えられないかもしれないけど、私はそう思う。
たとえ相手が親であっても、兄弟であっても、子どもであっても。
by R.S. (2009-04-18 22:59) 

黒犬

両方読んで、校長の真心、いや親心かな

良くわかりました。

そういう事があっさり出来るところが素晴らしいですね。

また会いたいと思うのはまさしく相手のもってる空気、雰囲気
からどういう人かを感じとりたいと言うことですね。

私も皆さんにあってみたいです。
でも喋るのも苦手ですから
ワン♪ワン♪しか言えないかもしれません。




by 黒犬 (2009-04-19 01:53) 

むつき

表を読んで思い出したのは、夏休みの読書感想文でした。
映画の内容でもなく、勿論××サマの文章についてでもなく、シチュエーションが似ているな、と。

ものすごく苦手だったのです、読書感想文。
本は好きで楽しいし、物語も楽しめるけれど、それに感想を書けと言われても、どうしていいのかわからないのです。
他人の(場合によっては完結した)物語を傍観したところで、自分が何か言えることはないと思ってしまう。

今回の表は、久々にそんな戸惑いを思い出しました。

その後ここを読んで、その理由が何となく見えた気がします。

生身の人が向こうにいるか・・・対話の可能性があるか。
そういうことが、私が、何か言いたい、コミュニケーションしたい、と思うために必要なことなんじゃないのかな、と。
そしてこの場合の「何か言いたい」ってのは、感想文を書いたり、コメント残したりしたい、と思うことで、ということは、どんなに素晴らしい物語でも、それがもはや固まってしまったものではコミュニケーションの取りようもないので、「何も言うことはない」ってなっちゃうんだろうな。

などなど、まだ上手くまとまっていないんですけどね。

ちなみに法学を学び、今では法律の解釈に苦しめられている私ですが、それでも法律はああいう文章でなくてはならないのではないか、とも思っています。
わかりやすい、というのは往々にして幅を狭めることに近いからです。
なので、わかりやすさと量は反比例しやすい。

ただ、法律本体と、それに関わる周囲とはまた別の問題だとも思いますが。
だからこそ、いかに無機質なものと人とを繋げていくのか・・・ちょうど仕事で悩んでいるところでもあるのですけれど。難しいですね。
by むつき (2009-04-19 03:05) 

オーヤ

琵琶湖へ行く前の準備をしなければならないのに、うーん、とうなってしまいました。

…と、いうか、後半になったら、ヤベ~、いつ、名指しで叱られることやら、とハラハラしながら思って読んでいたら、どうやらスルーして頂いたのでホッとしていたら、けえさんのどォローでずっこけたオーヤです。とりあえず、今回のお話はどーいうつもり?と突っ込んでおきます。

…と、いうか、どーなんでしょ。そーなんです。私は必ず否定から入ります。鯉も飼えません。論文は、要するに、闘うための文章です。自分の主張が正しいと。自分の言うことに感心しなさいと。役人の文章は、自分を守るための文章です。我々は間違っていないと。このよーに多角的に色々考えて突っ込まれないようにしていると。決して、相手の気持ちに寄り添ったりするためではない。

少なくとも、その方々が生きていくために必要な文章ではあります。そして、その中にも流儀も礼儀もあるようで、読みにくい、読みやすいもある。「うまい文章」が大切なことは言うまでもありません。私は、学生の頃は科学の論文に明け暮れ(?…と、いうか、研究の存在価値に悩みまくって自滅していたという方が適切ですね)、社会人になってからは環境法律に基づく運用文書に明け暮れてきました。そういう私の文章はご存知のとおりです。

だから、今回の文章教室は、本当に考えさせられました。たぶん、同意の方で。で、2点だけ。

本質的には、文章の目的をどうするか、ということに尽きるのだと思います。まちるださんのおっしゃるとおり、誰かを素敵な気持ちにさせたいという思いや、または、自分が背負った「何か」をなんとか代弁したいという思い。そういう文章には、そういう書き方があるし、私は、たぶん新成人さんも、そのあたりで学ばさせて頂いているのだと思っています。

もう1点は、「その向こうには、人がいる」ということ。私の本職は、それ自体は無味乾燥な「数字(分析値)」を報告する仕事です。正確に、冷静に、誤解のないように簡潔に。しかし、私は部下にも言うのです。「いいか、数字の向こうには、人がいるんだ」と。どんな仕事でもそうなのでしょう。一見「冷たい」仕事の中に、その思いがどこまでこめられているか。それがたぶん、仕事の全てです。

あ、ヤベ~、もうタイムリミットです。琵琶湖、私は本当に何にもせずに皆さんにおんぶにだっこで鯉も飼えませんが、とても楽しみで、とても幸せです。大感謝を表して…行ってきま~す!!


by オーヤ (2009-04-19 06:58) 

NO NAME

なんですかね,法律関係のことを書いた方がよかったかしらん?合計したら1万字になったかしらん?なんてことを思ってみたり,思わなかったり.

そりゃそうと「法令や条例などの法に従わない役人」がいたらどうなるだろ,と想像すると,ちょっと面白い(笑)

んでもって,送信ボタンを押す前にエントリーがなければ,きっとこの真上のコメントにある「論文=闘うための文章」というのは面白いご意見ですね.ちと興味があります.いや,ホンマに.

それはそうと,とある方から「(a)の人」と呼ばれてみました.
ほなら5月なら(m)の人で9月なら(s)な人になったのね,なんてことを書くのはさておいて.ちなみに3月でも(m)の人になるけども.
NO NAMEというのはどうやらここのblogの設定みたいで,コメントを書く際に「お名前」を空欄にしとくとそうなるみたいですよ.

ほーらね↓  (なんてのは百も承知のコメントですね・苦笑)

by NO NAME (2009-04-19 09:08) 

NO NAME

上の NO NAME のひと。
そうそう、あなた。
自分の文章を箇条書きにまとめるのに、2時間かかったあなたです。
本文書くのに何時間かかったんだ?なんて黒犬なことは、この際おいておこう。

べ、べつにあなたは、HNつけなくても、行間からあなたってわかるんだからね!!
そしてさらに、HNとかつけてくれたほうがさ、たとえば、検索するときとか助かるんですよね。
Ctr+Fボタンをぽちっっとな。なんか出てきたでしょ。それだよそれ。

HNなんて、「じゃぁかぁしぃ」なんていわずにさ。
次回のお話も期待しちゃうから、よろぴくね。
ではまた楽しみにしてますばい。
ぐっどらっく。
by NO NAME (2009-04-19 10:59) 

ダルコ

表米欄ははじめに名前を書く人が増えました。
mixiも左側に名前が表示されるので、「誰それの米」ってすぐにわかります。
いまんとこ、学園は最後まで名前がわからない人が多い。

楽しいです。
誰のコメントだろうって想像しながら読むの。

文章のスタイルとか、口調とか、記号とか顔文字とかじゃなくて、その人の考え方や感情や生活が文章から見えるとわくわく。
当たることはあんまりないけど、みんなを知りたくて、読むのが楽しいです。
実際に会えば、その先、もっともっとみんなの米を読むのが楽しくなりそうですね。

何かを述べる時「なぜそう思うのか」を、伝えられるようにしたいと思ってます。
社内文書や議事録ばっかり作ってると、味も素っ気もない文章になってしまいますが、なんとか仕事でも思いを伝えられるようになりたいなぁ。
by ダルコ (2009-04-19 12:06) 

ナバホ

マニュアルというとこんなのもありますよー
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B-%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%8F-%E6%B5%B7%E8%80%81%E6%B2%A2-%E6%B3%B0%E4%B9%85/dp/4872690516
ただし、現在発売されているモデルのものではないのでパソコンオンチの××さんには、全く役に立ちませんが。
でもパソコンのマニュアルは、最近かなり改善されています。
携帯電話は・・・どうしてあんなに分厚いのか。

このマニュアルのおかげで会社は問い合わせ対応が減り、私の大好きな丸谷才一さんが「ゴシップ的日本語論」で「だから、マニュアルの文章がよくなれば、社員の数を減らすことができる。企業としてものすごい有利なことなんです。言葉といふのはさういふものなんです」と書いてます。

そしてこのパソコンがバージョンアップしたときに、マニュアルのもとの文を社員がいじって間に合わせたために意味が通じなくなっちゃったんだって。丸谷さんはこれを「文章なんてものは大したことぢやないんだ、いざとなれば口で説明すればいいんだ、といふ発想が根強くあるわけです。」と説明しています。

わたしたちも「会って話をすれば分かる」と思っている節がありますよね。会社でも「メールでのやりとりのみでなく、フェイストゥフェイスのコミュニケーションを大事にしましょう」なんて言われるし。

でも降旗学を通して知り合ったわたしたちは、オフ会はしますけれど、普段は文字を通してのコミュニケーションがメインなわけで、じゃあみんなことをちゃんと分かっていないかというと会社で隣に座っている人のことよりよく知ってたりする。

特にうらふりなんてかなりプライベートなことをみんな書いていますから。

わたしは傷つくのがこわい、というより自分の弱いところをさらけ出すのってかっこ悪い、お互いの傷をなめあうのって見苦しいっていう思いがあってなかなかみっともない自分を出すことができません。
みんなの悲しみや苦しみは共有してくれると距離が狭まった気がしてすごくうれしいのに、同じことがみんなに対してできませんでした。

ごめんなさい。

たぶんみっともない自分を受け入れるだけの器量が、なかったんですね。ちょっと時間がかかりそうですが、ここまでたどり着けたのも××さんの文とみんなのおかげです。どうもありがとう。

by ナバホ (2009-04-19 13:53) 

★エム

法律の文章は無感情ですが、裁判官の量刑言い渡しの文章は人間味を感じることができますよね。そういう形でバランスをとっているのかなと思います。
遺族・被害者へのケアというのは、加害者への量刑とはまた別問題。被害者へのケアというと、すぐに量刑を重くするとか、なんでも死刑!って話になりがちだけど、それも何か違うんじゃないかな。遺族にしてみたら、加害者に心から反省してもらいたいというのが一番の願いなのでは?加害者が反省しないうちに死刑にされることが、遺族にとっては一番辛いことなのではないかと思います。
加害者だって悪人として生まれてきたわけではなく、そうなってしまった事情や生い立ちがあり、癒されずに歪んだ形で育ってしまった結果だったりするわけです。
被害者へのケアについては、交通事故にあったときに保険金がおりるように、犯罪被害にあったときにもカウンセリングフィーや仕事ができない間のお金を保障するような制度があればいいのに!と思いますが、いかがでしょうか?


学者さんたちの主義主張、個人的な理由の上に成り立っていることがたくさんあります。
知り合いが元ブルセラ女子高生だったからと、彼女を守る気持ちで、知識を振り回してブルセラ女子高生を擁護した学者もいました。自分の嫁が専業主婦だから、嫁を守るつもりで、専業主婦を悪くいう人を徹底的に攻撃する人もいました。偏屈な性格を正当化して生きるために哲学学者になった人もいれば、もてない男であることをネタに学者として生きる人もいます。
難しい言葉の飛び交う議論ではとてもうかがい知れない彼らの卑近な事情を思うと、思わず「かわいいなぁ」とクスっとしてしまいます。
象牙の塔の住人たちの素顔は、持っている知識の多さに反して、いつまでも学生のようでとてもかわいらしいです。たまに、その子供っぽさがむかつくんですけれど。
…なんて言っていると、生意気だと言われてしまいそう。


***

ディスコのチークタイムは知りませんが、クラブのクローズ間際はラブソングで決まりですよね♪



by ★エム (2009-04-19 13:59) 

ch-k

けんずるちん

うわぁあっ、なななななによ?なに?なに?なんなのよ?
って急に名前呼ばれたりするからびっくりしちゃった。

そうそうそうなの、おやヂなの。
聖子ちゃんのその歌、リアルタイムで聴いてたの。
それだけじゃないよ。もっともっと知ってるよ。
もうね、どれから言っていいのかわかんないくらい。悩む。おやヂだし、私。って、ついでに流れに乗って言ってみる。おやヂだし、私。これ、かなりキテます。スーダン国境ちきゃくのとっきょきょきゃきょくで…。チッ。噛んヂまったぜ。悔やむ。おやヂだし、私。

by ch-k (2009-04-19 20:46) 

やまだ。

Twitter に参加してくれた方々、さんきゅ♪

ひとまず、お礼だけ。反省会は明日します(ぇ
by やまだ。 (2009-04-19 22:20) 

みゃ

表の※をようやく書き終え、こちらにも書き終えて一眠りしようと思います。

正直な話、個人的な心情を表(=インターネット上)に書くことには、多少の抵抗があります。以前、表の※にも書いた、ありもしない壁、のようなものです。書くにあたって、このことは業務的に問題が無いか、他人への誹謗中傷を伴っていないか、自分は悪意のない書きこみだったとしても悪意のある書き込みであると受け取られないか。アンパイ、アンパイ、をやっていくと、面白みの無いそっけない文章が出来上がって、まぁなんて黒犬なの、そんな犬は家にいれちゃダメでしょ、と大いにヘコんだり。そういうわけで、毎回表の※は試行錯誤です。

家電品などの取説の書きかたについては、テクニカルコミュニケーター協会 http://www.jtca.org なる団体が資料を出していたりします。私は一応会員にはなっているものの、製品マニュアル作りはやってません。なにぶん客先の客先で運用やっているので、そっち方面に首を突っ込めない——違うな、どこから手をつけていいかわからない、興味が発散しまくっている、というのが正しい。逃げ。そうかもしれない。たぶんそうだろう。

業務ソフトウェアの操作マニュアルとか、どうしてあんなに人を選ぶような形になっているのか。みんな作るほうは熱心なのに、マニュアルは後手後手。お客さんが触るのはコードじゃなくて、操作じゃないのかなぁ。結局、お客さんはどーしたいのよ。まだコの業界は甘いような気がします。でもそこに種がある木もします。福沢さんのなる木かどうか怪しいですが。白犬ならここ掘れワンワンしてくれるでしょう。

新聞部ネタは……こんな調子で書けるのかなぁ。れっつとらい。

ちょきをだして、ちよこれぃと、と遊んでいたころが懐かしい。みゃ、でした。
by みゃ (2009-04-20 01:37) 

けんづる

ちさとん。

けんづるも充分なおやヂだと言うことが白日の下にさらされました。

みなさんの真面目な文章にこんなふざけたレスで恐縮です。。。
by けんづる (2009-04-20 09:33) 

NO NAME

素を出すのはとても難しい。
思い当たる理由は2つ。

1。素の自分が嫌い。

2。”素の自分”が分からない。

そんなことをしたら鯉も飼えないと言われてしまうことですが、「自分探しの旅」に出たくなる春の日です。

意識せずに素の自分をさらけ出せる人。
まっすぐに心を開ける人。
そんな人が羨ましい。
by NO NAME (2009-04-20 17:02) 

NO NAME

えーと,「ctrl」と「f」か.ポチっとな・・・何も出んが...リンゴの絵ならあるんだけどなー・・・なんつって.

いやー,同一人物か分かりませんよ~(笑)
ほら,この真上のコメントだって,私が書いたかも知れないじゃないですか~(笑)
でもって箇条書きに2時間もかかったんではないかいな,というツッコミを入れたのも私で自作自演かも知れないじゃないですか~(笑)

なんつって.

でもね,私が書いた文章って1つの例外を除いて分かったり・・・なんつって.

オマケ:コメントを書く際にはWordで書いてからコピー&ペーストしてます.でもって,ここに書いたコメントもファイルがまだ残っていて,プロパティによるってーと「編集時間 13分」だそうです.箇条書きの方は.2つのコメントの間,それなりに別の作業(仕事だよ,仕事!)をしてたもんで.まさしく息抜き,箸休め.
しかし13分とは意外と長いなぁ.5分くらいと思ったのに.

by NO NAME (2009-04-21 04:25) 

ch-k

あ、おれおれ、おれだよ。

ココで名乗らなくてもいい人は?
と考えてみたんだけど、
思い当たるのは一人しか(ボカッ)…

バタリ(倒れる音)

by ch-k (2009-04-21 10:36) 

ch-k

いててて…

ああ、もう、だれだよ?
いきなり後ろから殴るなんて。

誰か忍びこ(ボカッ)…

ドタリ(再び倒れる音)



by ch-k (2009-04-21 12:30) 

NO NAME

No NAMEっておもしろいヤツですねぇ おやさん
by NO NAME (2009-04-21 13:00) 

ch-k


おやさん? あ、あんた…。 それ、わざとボケてるの?

それはそうと、さっきから二度目だよ。後ろから殴られたの。

それにしても、匂うな。 怪しいぞ。 気付いてないのか?
スーダン国境近くのエッチなオネエさんの尖ったヒールで踏ま…怪しいぞ。

だいたいの察しはつい(ボカッ)…

バタリ(またまた倒れる音)

by ch-k (2009-04-21 16:52) 

辞書

頭がこんがらがってきましたにょ。
by 辞書 (2009-04-21 17:51) 

NO NAME

ch-kさんたちがとても白犬なやり取りをされている間に割り込んで失礼します。ダルコさんの「誰のコメントだろうって想像しながら読むのが楽しい」に、そうねぇ…と、とても感心したので、いっそ、NO NAME で一万字に挑戦?されている方を真似して、完全無記名で書いてみます。果たして何行でバレるでしょーか。

では、最初に前置きを。最近、諸事に追われて余裕がないため、本来、報告をしたりレスをしたりすべきものが全く出来ておりません。ごめんなさい。その状況で恐縮ですが「自分をさらけ出す」についての皆さんの書き込みと、今、話題の、NO NAME で一万字に挑戦?されている方の書き込みについて、どーしても書きたくなったので、少々(?)。

私にとって基本的に「自分をさらけ出す」というのは、対人戦略の一つだったりします。そんなこと、とーの昔に見抜かれているでしょうけど。伝えたいことがある場合、相手に考えてもらいたい場合、「自分をさらけ出す」のは、一つのカードになります。戦略というぐらいですから、その人の心が暖かいかどうか、心を開いているかどーかは別問題になります。おっしゃるとおり、心を開きにくい人には警戒心があります。警戒心と戦略は根は同じと言っていいでしょう。

これもすでに見抜かれているように、警戒心の強い人が自分をさらけ出すのは、例えば「大義名分」が要ります。流れや必然性と言っても良いでしょう。私はこれを「役割」とも表現しています。このタイミングでこれを主張せねばなるまい、ということ。掘り下げると、その主張が「みんなのため」なのか、「本人のため」なのか、要は主張することで何を目指すのか、それはそれで「その人」が問われるところですが。自分中心なのか、みんなの幸せを願うのか…

で、それは置いておくとして、表面的には、警戒心の強い人と、そうでないオープンな人がいるわけです。降旗さんはオープンであることを推奨してらっしゃいますが、ただ、一つ言えば、オープンな人が自分の「やりたい」を主張する場合、警戒心の強い人には、ぶつかり合いを避けるという効能もあります。人と人の関係でぶつかり合いが「ない」のは鯉も飼えませんが、だからと言って、そうぶつかり合わなくてもいいでしょうと言う気もします。適度なところで一歩引く。エゴとエゴのぶつかり合いになっても鯉も飼えないと思うのです。

あ、でも、このような「一歩引く」は、スキルであっても、別に「優しさ」ではない。優しさは、自分のことなど考えていないと思うので、警戒心とは無縁です。心を開く、というのは、「優しさ」と、「強さ」に相当近いですね。そういうことを、ナバホさんの書き込みを読んで改めて思いました。心を開くというのは、距離を縮めるために、傷つくことや格好が悪いこと、きまりが悪いことを恐れないこと。そして、良くも悪くも「わがままを言うこと」もアリだと思うのです。それが「わがまま」だと充分わかっていて、わがままを言うのは自分への信頼と相手への信頼の両方が要ります。

私はわがままを「わがまま」と言われてしまうことを考えると、やはり怖くて言えないのですね。繰り返しますが、これは「優しさ」ではない。「わがまま」が「わがまま」と分からないような想像力の欠如よりは「優しい」のでしょうけど。自分を信じて、相手も信じて、五感というか、自分の感情のままに、素直に…いや~、これは、天性というか、育ちが大きいですよ。私には育ちの「影」があり過ぎます。シャイや控えめは、優しさというよりも、その人の抱える「影」かもしれません。そーいうわけで「理論武装の裏付けのないわがまま」を私生活の課題にしています。

だから私は、琵琶湖で、皆さんにお会いして、妙に納得しました。影がない、というわけではないのですよ?むしろ、影の存在を色濃く感じた、と言った方が良いかもしれません。でもね、育ちも支えにして、色々な方法で、それを超えて来たのだろうなあと。その「どーやって超えてきた」がその人のスタイルであり、「らしさ」になっているのだろうなあと。一部の方に対しては、自分自身のことをたくさん話して距離を縮めようとしましたが、今回は概ね、距離を縮めるというよりは、観察に徹してしまいました。ごめんなさい。鯉も飼えない私です。

もう、私が誰であるか、多くの方にはお分かりかと思います。今回はほぼ「オリジナル」の文体で書いております。相変わらずKYです。琵琶湖で会ったichigoさんからは「mixi見なさすぎ!」と言われちゃいました。お心遣い感謝です。表の映画紹介も見れておりません。皆さんの表コメントを見ると…怖くて読めません。たぶん、内容的に、はまり過ぎて時間がなくなります。なお、表コメント一番目での※数集計結果には恐縮しております。その上で、最後に「元祖」NO NAME で一万字に挑戦?されている方へ。

とてもノリが良い、一見挑発的?な文章の中に、特に科学論文についての思い入れというか、とりわけ「優れた論文」の所以について正当に語られており、おこがましいようですが感心いたしました。長い文章も書き慣れていらっしゃるのですね。私は、論文は「その人」の戦略という人間臭さが普通は極めて強いと思っていますが、科学的事実が、その人間臭さをはるかに上回る場合もありますよね。Natureでもトップクラスでしょうけど。そういう論文は、逆に主張をする必要がない(闘う以前に圧倒的に強い)ので、控えめで美しい文章になるのでしょうね。とても腑に落ちました。

で、そーいう主張をされる貴方はどこに?という問題では、徹底的に一線を引かれるご様子ですね。HNの引用も意図的に避けるあたりに覚悟?のほどが伺えます。ご自分を全くさらけ出さない、というわけではないけど、言ってみればドロドロ?はイヤだと。軽やかな批評家さん…私は嫌いではありません。ご自分をよく知った上で、立場に見合った主張をされる。「安全圏」に身を置かないと言いづらいことも、出せないノリもあるでしょうし…ちなみにぼんくらな私には、貴方がどなたかは、さっぱりわかりませんが。

ともあれ、自分をさらけ出さない範囲の交流(自嘲気味に「撒き餌に食いついてみる」と仰っていますが)で、どこまでおやりになられるか、あるいは自分をさらけ出す必要性がないのかもしれませんが、カードとして容易に自分をさらけ出す私としては、興味深く見させて頂いております。HNなどを名乗られる時もあるなら、それもまた良しということで、今後の展開も楽しみにしております。

そういうわけで、少々のはずが、大変長くなりました。「元祖」NO NAMEさんには負けてしまったと思いますが…さて、私が誰だか分かった方は…無駄な投げ掛けはやめておきましょう。鯉も飼えません。そんな文章に最後までお目通し頂いた方に、感謝いたします。ありがとうございました。それでは。
by NO NAME (2009-04-21 18:24) 

ch-k

琵琶湖へいかれたNO NAMEさん、あなたの書かれた文章って、私の心にとても心地よく響きました。
高原の林を抜ける風に乗って聞こえてくる小鳥のさえずりのように。木々の間から見上げれば、うっすらと白く霞みがかかった朝の青空が広がって。

朝は挽きたて入れたての熱いコーヒーをブラックでいただきましょう。

そこに、「元祖」NO NAMEさんが書かれたお返事があって、それを読みながらいただくコーシーは、きっと美味しいコーシーだと思います。

「元祖」NO NAMEさん、どうぞ願いをお聞き届けくださいね。

明日の朝にいただくコーシーが今から楽しみです。

by ch-k (2009-04-21 22:06) 

ch-k

 ↑
あああああ、携帯から送信したら「送信エラー」とかメッセージが出たもんだから再送信したらこんなことに!

けえさま、どっちか消せないもんですか?
おねがいします。

by ch-k (2009-04-21 22:45) 

ke_co_ltd

ch-kたま
対応しました!はやい!すごい、えろすぎ!(え
by ke_co_ltd (2009-04-21 22:47) 

ch-k

けえさま

素早い対応ありがとうございます。
もう、大好き!

by ch-k (2009-04-22 00:00) 

郷午言

けえ好調代理、遅ればせながらお疲れさまでございました。

プロの分泌…もとい文筆家の方が校長で、しかも秘伝を伝授してもらえるとは、何と物凄い学園なのでしょう。ありがとうございました。

受講料は、金銭的には無料。でも、ここに書かれたことを心に留めて、実践して行くことが、私たちのお代なのですね。

タダより高いモノは無い、ただ、拠り難いものでもない。

また、こんな時間に。

by 郷午言 (2009-04-22 02:03) 

EMAN ON

Wordの「アップグレード」(と書いて「Microsoftへの年貢」と読みます.)を終え,2007ってのになったついでにIMEもMS-IME2007からOffice IME 2007にしてみたのですが...何でしょうね,これ.変換辞書なんかの学習が足らんのでしょうか.何故,新しいソフトを使ってるのに生産性が下がってイライラが募るのでしょう?教えて下さい,白石さん.

んな話はさておきまして.

撒き餌はは他にもたっぷりあって,例えば「酒鬼薔薇事件」とか.確かに,本エントリーの内容は事実だけど,書かれていない事実ってのも少なからずあったりして.例えば,プロファイルされた人物像で未成年というところまでは絞れた人がいたような.私の記憶が確かなら.(ただ,年齢まで正確にプロファイルできた人はいなかったはず.学生,というのも言ってたような.)
脱線ついでに・・・このプロファイリングってのは物凄く単純に書いてしまうと,そだなー,ボールが飛んだときに「大体この辺かな?」と予想して落下予想地点に素早く移動してキャッチ,ってことをしますよね.これに似てるっちゃ似てる.経験や飛んでくる速度や高さなんかを加味して落下地点を予想してるわけで.
実際の犯罪者プロファイリングというのは情報を集めるだけ集めて取捨選択もしつつ,過去の事例などと照らし合わせて,ということで人物像を絞るわけですな.
しかし,確かに大きく外したプロファイラーもいたし(その人がどれだけの情報を手にしていたかは分からないので.プロファイリングは情報が命.芸人はネタが命.芸能人は歯,でしたっけ?),記憶が確かならば年齢まで正確に予測した人もいなかった,ハズ.ただ,一方でプロファイリングの結果を聞いても「そんなものかな」という印象を多くの人が持ったはず.
だからこそ犯人が分かった時,世間は恐怖した.何故か?
・・・と,この先はきっとノンフィクションライターのお仕事だと思うので,知らないことにしてしまう.ええ,卑怯な私です.

てな感じで撒き餌はバラバラとあるんですが,消化にはまだ時間がかかりそうですし.それに,ここではんなこたぁ~さておいて.

問題は・・・朝から珈琲を飲むなんて.そんな不透明な液体を飲んヂゃ駄目ですよ.せめてミルクティー・・・ということでもなくて.

そんなに気になりますか.
人に心を開くこと,って.

いや,気にするからであって,気にしなければいつも「素」なんじゃないですか?

どっかの煽り文句ではないですが「自分探しの旅」なんて・・・駅などに置いてある旅行パンフレットの前で目をつぶって好きなのを選んで,行ってみて下さい.きっと見つかります.行く先は温泉かもしれませんが,だからといって「温泉サイコー」などというコメントを現地からわざわざ入れる必要はございません.

いや,そヂゃなくって.

朝,鏡を見てごらんなさい.もしくは今まさにディスプレイを見ておられるなら,ちょっと焦点をずらせばもしかしたら反射して見えるかも知れません.そこに映ってる顔が貴方です.
瞼を閉じて,それでも目を開けてみて.真っ暗?いえいえ.それが貴方です.
では目蓋(そらそーと「目蓋」と「瞼」ってどういう違いがあるんだろうか?)を開いて,手を見れば・・・それが貴方です.
貴方の人生で,貴方のことを一番よく知っていて長い時間ずーっと一緒にいるのは・・・貴方なのです.

目を開いても見えないものもあれば,見えないようで見えるものもある.
見えると思えば見えるものもあり,見ようと気にしなければ見えることもある.
一方で見えてるつもりなのに,本当は見えていないものもある.

なんてことを,ずーっと昔,何かの本で読んだことがあります.いや,本だったかな.何だろう.うろ覚えにも程がある.

要するに・・・私には分かりません.んなことは(笑)
っつーことで,私は気にしません.まるきり.つまりどういうことか,というのを英単語で表すとですねunconscious・・・ここで「欧米か?」ってツッコミを入れるんでしたっけ?え,もうそんなのは古い?あ,そうですか.
分かった方はこっそりと教えて下さい.往復はがきでなくて結構ですから.

実は“青い鳥”は部屋の中を飛んでいて,部屋の片隅にいるかも知れませんよ.
もっとも足元には糞が落ちてるかも知れませんけど.お気を付けあれ.


それでもってやっと本題です.
ここまでは枕と申します.もっとも枕の方が巨大ですが.

「論文=闘うための文章」というのはそういうことでしたか.
そうそう「数字は人を騙す」ってご存知です?データだとか,統計だとか,数字ってアレコレありますけど,実は・・・なんて話を始めたらどこまで続くんだ?
既にここまでで原稿用紙にすると4枚を超えてますな.

なお,別に1万字に挑戦したいわけではなくて,ダラダラと書いたらどうなるか&どの程度なのか,という興味というか好奇心です.あいにくと「1万字,行くぞ!」なんて気概もなければ度胸もヤル気も無いデキナイヤツですから.
やっぱり法関係の方が良かったかなー.そっちならダラダラ書いたら1万字超えてた,か?編集でバッサリとカット,なんてこともなさそうだし,ココ.その代わりコメントの全削除はあるみたいだけど.

さて,折角ですから頂戴しましたご質問にはお答えしないと,ご無礼旋盤(何故だ,Office IME 2007!?)もいいとこですね.えーと,「貴方はどこに?」とのことですが,そうですね...明日,会社なり学校なり,まぁ,いずれでも結構ですが,その途上で家を出てから3番目にすれ違った人が私です.もしかしたら.
もしくは,会社なり学校なり,まぁ,いずれでも結構ですが,席に付いたときの左斜め前の隣の席が私です.もしかしたら.
だからといって,明日,ジロジロと顔を見たとて「チョット見過ぎ.見過ぎ,見過ぎ.見過ぎだから!」と言われる・・・のも古いですか?あ,そうですか.
なんて,答でよろしきや?な~んてね.

あのですね,繰り返しになりますが,まぁ,こんな考えもあるぜよ,ってことを書いてみたまでで.そら違うばい,ちゃうんちゃう?というご意見も,これまた然り.

・・・などという考えは間違っていて,正しい答えは!なんてのがあるのかもしれません.私は知りませんけど.
ご存じの方,宜しければ往復はがきでこっそりと.宛先は(さすがに丸っとカット.)

いやいや,事実は逆!とか?
例えば↓こんなこととか. (なんて,もういいですね.失礼.)

by EMAN ON (2009-04-22 02:30) 

ch-k

朝から軽やかなピアノの音が聴こえてきます。ころころと転がるような三連符。ウィントン・ケリーの指先が奏でる音色は短い休符のアクセント。

窓から差し込む朝の光。昨夜の雨もすっかりあがった晴れやかな青空に溶けていくのはアメリカーンなコーシーの香りとピアノの音色です。

EMAN ONさん、いや「元祖」NO NAMEさんですね。返信(私宛ではないのはひとまず脇に置いといて)ありがとうございます。そのハンネも洒落ですね?洒落てて粋で、なんだか朝から枠枠しています。

色即是空、空即是色。――般若心経の世界みたいですね。
じゅーそうぎょうしきやくぶーにょぜーしゃありーしー…。

しゃあ?……シャア!……赤い彗星!

いや、そうじゃなくて。鏡に映る自分が鏡に映る。映す鏡は必ずしも鏡であるとは限らない。時にはそれが人であったり、自分自身の心であったり…。私は私であなたはあなた、同時にあなたは私の心を映す鏡であったりして、あなたに私の心が通じていたりなかったり…。だからあなたはNO NAMEさんでEMAN ONさんで、名無しであって名無しでなく、名乗らないのは名乗らなくても名乗ってるというこ(ボカッ)…。

バタリ(そうです。倒れた音です)

by ch-k (2009-04-22 09:17) 

NO NAME

ch-kさんが バタリ・バタリ 何度も倒れてるのは何故?

始めは 「濁点」でなく「半濁点」で パタではないか?などと思ってました.長い文章が得意で何通りもの文体を使い分けできる沢山のHNを持つ方.でも,チョット様子が違うみたいですね.もっとも誰なのか詮索してもジンジャー在庫切れですね.

「数字で人を騙す」とのお話が出てきたので,一言.
文字で爽やかに読者を欺くこともある,コラムニストもどっかにいらっしゃいますが,数字を使うとトーシロでも比較的簡単に読む人を欺けると感じています.統計学を振り翳したりしませんが,極端な例をひとつ.

平均値の罠
100点が1人,0(零)点が1人 もう一方は 60点と40点が1人づつ.どちらも平均点は50点ですが,これを平均だけで論ずると大変なことになります.
かりに,組織業績をあげるために上記2ケースについてコンサルするとして.
前者なら,デキナイ0点君を徹底的に教育するとか,代わりにデキルヤツをスカウトしてくるとかが必要ですよね,もう1人の100点君をそれ以上稼げるスーパーデキル君に育てるのはかなり困難なことですから(ライバルに引き抜かれたりしないような備えが必要です).
後者の場合は,2人とも100点を目指して育ってくれれば組織の平均点も上がるハズです.2人が”つもり君”でなければ.
こんなミエミエのケースは通常ではあり得ませんが,経済記事や某著名経済学者の中にも,読者に強い印象を持ってもらうように,数字の書き方(読ませ方)を操作してるような気がします.

前者の例でこじつければ,業績好調の時は完璧に仕事をこなすデキルヤツが5割をしめる組織,不祥事をおこしたりすると,デキナイ君だけを取り上げて,こんなダメなヤツが半分もいる組織.どちらかに偏って取り上げて平均値には触れないかもしれません.

何が書きたいのか自分でも混乱してきたので,中途半端ですがもう止めようと思います.もう昼休み終わりだし.(^^ゞ
では,また by AP2
by NO NAME (2009-04-22 12:47) 

NO NAME

おお危ない。いつのまに。
ちさとん汁のおかげだな。
偉いぞ、ちさとんカツ。さすが扇風機をぶんぶんぶん投げとるだけのことはある。るる。るるるるる。

表の米は、息抜きの頭の体操@読む人を意識しつつ。
ちくわ部とみくしは、皆さんに絡む楽しみ@絡む人を意識しつつ。
裏は会話するよに@全体を意識でのぞんでみたら、意識することが不要となることを悟ったとさ。

で、私が心を開いている米はどの米だ。
悩む。小坊主だし、私。NO NAMEだけど。
by NO NAME (2009-04-22 15:27) 

ch-k(今度は2発☆かよ)

く…あっちにもこっちにも名無しが…。

みんな、わかっててやってるのか?

いいか?

この校長室で名乗らずにいられるのは(ボカッ☆バキッ☆)…

バタリ(もうおわかりだと思いますが、倒れた音です)…

by ch-k(今度は2発☆かよ) (2009-04-22 20:51) 

嫁は上海

 こっちも読ませてもらいました。

 自分をさらけ出す、うーん・・・・ 難しいことですね!
ただ、話さないことには何も始まらない。 ナンパも出来なきゃ、唄も歌えないし・・・・

 新入社員のときに課長から会議に参加したら必ず発言してこいと言われたのを思い出しました。 発言しないのは参加してないのと同じで行く必要がないと言われたんだった。。。。

 今回、上海で嫁に言われちゃったんですよ。 「初対面のときにしゃべらないとすごく怖い人に見えるって・・・・」、それはすごくショックでした。 だから、ナンパもうまくいかないのかな??(自虐)
 でも、嫁さんと出会って、付き合って、いろいろな意味で考え方が変わりました。
 人間って、結局は皆同じで、ただ生まれた場所と生活環境と話す言葉や教育が違うだけだってことが、で、その違いをどこまで許容できるかじゃないかと思うんです。

 思いつくままに書いちゃいましたがそのほうが私を表していると思うのでこのまま【送信】押します。


by 嫁は上海 (2009-04-23 00:30) 

ch-k

素になる。か。

いろんな場面場面でその場に応じた自分の見せ方を使い分ける、ってのはフツーにアリだよね。でも素の自分は常に素の自分のままであり続けるよね。つか、それは服装のTPOに応じた使い分けと同じで、何を着てても中身の自分が変わるわけではないよね。ってこと?

そういうふうに考えてみると、人は誰でも、何を着ていたって、どんな職業に就いていたって、そういう表面に見えるものを取り払った生身の人間って、自分も他人も基本は変わらないものなんだよね。っていうこと?

誰だって叩かれれば痛いし、褒められれば嬉しいし、大切なものを失えば悲しいし、お腹もすくし、人を恋しく想ったりもする。

嬉しかったり悲しかったりは、その感じる程度に差があったりはするだろうけれども、その素(もと)になる対象は誰にも共通しているんだよね。だから、一緒に食事して「美味しいね」と顔を見合わせてニッコリ微笑んだり、山々が連なる雄大な風景を前に「凄いね」と一緒に息をのんだりするんだね。そうして気持ちを共有するこてで、一層その人との距離が近付いていくんだね。

なんてふうに考えながら、「元祖」NO NAMEさんことF…EMAN ONさんがくるのをまってたんだけど…。

原稿のし(ボカッ)…

バタリ(いやあ、毎度毎度あい済みません。ええ、そうです。倒れた音です)




その頃、校長のデスクでは…


るる。るるるるる。るるるるる…

(編集Yさんからと思われる)電話が鳴っていた。

by ch-k (2009-04-23 08:23) 

AP2

ch-kさんのおかげです。

句読点に「。(マル)」を使わないで「.(ドット)」を使う方,表コラムのコメント欄のどこかで見ていた記憶があり,その事がとっても妙ぉに旗になって,過去の読者コメントを検索してみましたぁ.

最近だと4月1日イベントを主催していた方が「HN無しのドット使いさん」でした.

第22回 眺めのいい部屋 3月27日掲載のコメント欄では7件投稿されてます.
内1件160番は(a)として参加されてるのかもしれません.

検索で出てきた初登場は,第9回ギャルソン 11月28日掲載 のコメ欄の2番目です.
第10回ワンダは3番目,第11回オールウェイズは5番目,第12回スティングは4番と36番,第13回パイカリその1は1番目,その2は2番目,第15回BEYOND BORDERSは2番目,第16回は1番目と41番目,第17回は3番目,第18回は2・3・67・68・126番目と5投,第20回は17番目,第21回は66・67番目,第22回は13・105番目にHN無しドット使いさんが見つかりました.

ドット使いのコメントは同一人物とは限りませんが,コメントナンバリングと時系列並べ替えツールを駆使してコピペして,全コメを並べて読むと,どれも書き方の雰囲気が似ているので面白いです.素人目には同じ方の投稿にも読めなくもありません.ただし,フランス在住もしくはアメリカ在住を伺わせる表現があるので,同じ方ではないのかもしれませんし,1人とは限らないので,全ての句読点ドット使いのコメントが同一人物と言っては鯉も飼えないのかもしれません.

そのほかの特徴としては,初期の投稿ではコメントの終わりでY3に降っています.
ナウ・ゲッタ・チャンス!,(の)の連続, 封書での応募 ,等の共通使用もありますがハイブロウなギャグと同じで,コメント欄の流行言葉の多用は他の方々も同様なので,結局,識別する手立ては句読点のドット使いだけですかね.

プロのプロファイラーであれば,書いた人の人物像や同一人物かどうか特定できるのかもしれませんが,私には到底無理で麩.ドット使いを検索するのが関の山で麩.

当該文をコピペすれば,もう少しわかり易くご説明できるのですが,勝手に引用するのはHN無しのドット使いさんやNBOの著作権に抵触するかもしれないので止めておきます.

ご興味のある方は,過去分のコメント欄へどうぞ,コメントナンバリングと時系列並べ替えツールを使って纏めて読めば,探す手間が軽減できます.

オット何が言いたいか忘れて脱線したままでした.
本学園のch-kさんが旗にされてる,no nameさんも句読点にドット使いだったので,もしかしたら,コメント欄の情恋の方なのかなぁ? しかも,ch-kさんがバタバタ卒倒せざるを得ないようなあの方なのかなぁ などと邪推している次第です.

私の勝手な思い込みなので,まったく事実と異なる妄想かもしれません.

当のご本人がこれをお読みになって,事実とまったく違うよ! と不快な思いをされてしまったとしたら,深くお詫びいたします.私,デスラー並みに能天気で勘違いも甚だしいオッチョコチョイで,それもサッカーブラジル代表ですので,春の陽気に誘われた妄想ということで,妙なコメをお許しください..では,また.
by AP2 (2009-04-23 10:39) 

A.U.

えぴたんのそうさくはつづく。
しんそうやいかに?烏賊煮?旨煮?

A.U.
by A.U. (2009-04-23 12:40) 

NO NAME

AP2さんの調査に脱帽

なるほど コメント欄 そういう楽しみ方もできるんですねぇ。


>嫁は上海さん

難破などしたことないおやさんですが、鯉は遭難(いえ、おぼれて)ばかりです。って 恋におぼれるというと濃い恋をしているようですが、実際はカープに恋するぐらいで、ほんと相手みつけられてません。

が、許すこと、受け入れること。それができて はじめて心の会話ができるんだろうなと 改めて脱帽です。


>ch-kさん

待ち人きたらずですが、あの方 ほんと白犬なかたですね。
見せ方の工夫っていうの なるほどって思いました。
脚色や虚飾でなく、メイクなどは よろしいかと^^

倒れすぎてますが、CTやMRI とってもらってくださいねぇ

by NO NAME (2009-04-23 12:54) 

AP2

A.U.さん へ

わての創作? 鴨 しれ魔篇. (^_^)

これ以上の捜索・・・・はでき魔編. ^_^;

誰なのか探しても、ご本人はケッシテ名乗らない(レナイ)鴨しれないし.謎のままが楽しいこともありま麩.
それよりも、投稿された内容が白犬過ぎなので、少しでも見習いたいと思うしだいで麩.

今日の深夜は お待ちかね時間で麩寝.
今週はどこに戯事が出張するのでしょうか?
枠枠!で麩.
by AP2 (2009-04-23 17:29) 

ch-k


おやさん様

「元祖」NO NAMEさんことF…いや、EMAN ONさん(仮に"お名前を呼んではならぬあのお人さん"とお呼び申し上げますが…)、今日は新聞部にお成りあそばされたようであらしゃいます。

そこはそれ、やんごとなきご事情があらしゃいまして、なんと申し上げたらよろしいか、おほほほほ…。

それはそうと、おやさん様。このたびはこの私のことでいろいろとご心配いただきまして、まことにありががたきことにございまする。

いえいえ、大きな声ではお耳に入れられぬお話なんでおじゃりまするが、お名前を呼んではならぬあのお人さんのことで、ちと…。

おやさん様も何かお気付きであらしゃいませぬか?

気いつけなはれや。滅多なことをお口になされてはなりまへんのどす。後ろからいきなり襲われるかもわかりまん。ご用心、ご用心。

ほな、ここで失礼さしていただきます(ペコリの絵文字)





いやぁ、よろしおした。今度は後ろからボカリとやられんとすみましたわ。

ほな、今夜0時の記事リリースを楽しみにして家路を急ぎましょ。

へえ?なんでしょ?

私が殴られて倒れないと読み終えた気がしない、と、おっしゃいますのんか?

そんな、毎回毎回やられてたまりますかいな。第一、お名前を呼んではならぬあのお人の正体を明かすような(ボカッ☆)…

バタリ(またか?とおっしゃりたいお気持ちは重々承知しています。もうね、様式美というかなんというか、お約束の倒れた音です)

by ch-k (2009-04-23 19:49) 

ke_co_ltd

★けえです。

あっというまに1週間が過ぎてしまいました。
ほんとはコメントフルスロットルを先にしたいけど!でも!
うぅう。時間がないのでちょこっとだけ
時間がないなんてつまらない言い訳で
ほんと鯉もくいつきませんw

みんなのコメントは全部ちゃんと読んでます!
そして、ここでみながやり取りしあって
iを愛を藍を投げあい受けとているのを
しっかりみていますよー

表や、ミクとはまた違った場所になりつつあって
もうちょっとしたら新しい企画も立ち上がるので
まだまだ学園で遊んでいってください。

そしてよんでるだけーみてるだけーというひとも
なかなか追いつけないよーって人も
たくさんいると思うので
来週からはすこしだけペースダウンするかもしれません。
でもしないかもしれません。

みんなが捨てkな記事を送ってくれるから
やっぱりいち早くお届けしたいのです!!


そして、気づいている人は気づいているとおもいますが
ソネットブログのネットコミュというカテゴリー内で
なんとこの学園ブログ3位を3日間キープしております!すごいですね!なんか自分のことのようにうれしいです。

あれ?自分のブログかw
でもこれはひとえにみんなのFさまへの愛と重い槍の数値ですよね!ね!

ではまだまだコメント欄は続くのです!

今日の戯言はいかに!烏賊略
by ke_co_ltd (2009-04-23 22:21) 

oyasan

にぶいおやさんも ピリオド遊びはやめにしましたw

うすうす というのは ch-kさんが
また 喜びそうですが
ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

と、あと1時間ほどになりましたねぇ


けぇさん いつも忙しいのに ありがとうございます。
今週もこのまま よろしくお願いします。

by oyasan (2009-04-23 22:54) 

11 @ それでも法律は眠くなる


ハンムラビ法典は3倍返しを禁じた法だ。ってのは、私も聞いたことがあります。
で、みつりんごさんがハンムラビ法典の優しさについて言及されていたので私も思うことを。


みつりんごさんは、復讐は復讐を産みかねない、ってことと、加害者としてやってしまったことを被害者として受けるのならば仕方がないって納得がいく、って話をされていたと思います。
前半は非常に同意します。
が、後半には2つの疑問が生じるんです。

1) 自分がやられてイヤだったことを、故意に誰かにする時ってどんな気持ちなんだろう。
2) 相手が加害者ってのが勘違いだったら、復讐者はただの加害者に成り果てないかな。


やられた事をやり返した時の気持ちって、どんななんですかね。
私は、やり返して最終的にポジティブな気持ちになったことはありません。
一瞬「やってやったぜ」って思うかもしれませんが、とするかもしれませんが、
苦しむ相手を見て、なんであんなことをしてしまったんだろう、って最終的に後悔するんです。
復讐する相手には、そんな同情生まれませんか?
そんなときは、そんなことを考えている自分の顔を鏡で見てください。
きっと、すっごいブルーになれます。
悲しい勘違いは、被害者のはずだった人を一方的な加害者にしかねない。
そして、それはまた復讐として自分に、下手したら自分の愛する人に降りかかるんです。

それを救済しようとしたの、近代法だと思うんです。
報復権を奪った、って言い方をされやすいんだけど、本当は、「イヤナコト」を代わりにやってくれて、勘違いのリスクも代わりに背負ってくれている。
で、勘違いしてしまったときでも取り返しのつく方法を選んでくれているんです。

だから私は、近代法も充分優しいなって思うんです。
勿論完全だとは思わないし、直すべき点だってあります。
でも、近代法の優しさを、報復権を奪ったなんてネガティブな切り方をしないでほしいんです。
そう捉えてくれる人が少ないのが悲しいですけど。

まぁ、最近はそんな優しさも持ち合わせていないような方々が法を作られたり扱われたりすることも多くて、
そこには色々と文句を言いたいこともあるのですが、それはまた、別のお話。

by 11 @ それでも法律は眠くなる (2009-04-24 11:09) 

031 11 @ まごころを君に、の技術は参考になるけど愛は感じないって言ったのは誰だったっけ。。。

なんかNBOに言いたかったことの一部がわかりやすく載っていたので、追記代わりに貼り付けときます。




by 031 11 @ まごころを君に、の技術は参考になるけど愛は感じないって言ったのは誰だったっけ。。。 (2009-04-29 02:13) 

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