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【リレー企画】テンカウント・リミット第二話 [図書室]

片桐は、「しまった。」と思い、静かに手を挙げた。
背中に当たる冷たい感触の位置から察すると、背後の男の身長は片桐と同じかやや高いくらい。小刻みに震えるような振動が、男がこういった犯行に不慣れなことを推測させる。
男の声が続く。
「あんた。何しに来たんだ?家族との関係は?」
愛車のアバルトから、「宅配でーす。」などと下手な嘘をついてもバレてしまう。ここは素直に依頼内容を説明するのが安全策であろう。
「私は、いわゆる何でも屋です。今日はここ、黒田様のご依頼で台所の温水器の不調を調べに来たんです。」
「残念だが、ここの主人は今外出中でな。改めて出直してもらおうか。」男の声は震えている。
やはり、この男、不慣れなようだ。
片桐は深呼吸し、何か抗戦できる道具はないか?と視線を泳がせた。
その時、温水器の陰で何かが動いた。そして。。。
「ぎゃっ!!」
ゴキブリの姿を認めた片桐は状況も忘れて思わず叫んでしまった。
背後の男はその声に驚いたらしく、一歩後ずさりした。
「今だ!」
片桐は素早く体を反転させ、背後の男の手を叩いた。
男の手からあっけなくナイフが転がり落ちた。
すかさずナイフを蹴りだし、男の手を後ろ手に捻り上げた。
「痛てててて。」男が声を上げるのを制し、男に質問する。
「正直に答えろ。中には何人仲間がいるんだ?」
「・・・・」男は無言である。
捻り上げた手に力を込め、「さあ、言うんだ。さもないと、この右手がしばらく使えなくなるかもな。」
「ま、待て。待ってくれ。一人だ。おれはこの家の者だ。親父に言われて見回りしただけだ。」
「くだらないウソをつくんじゃない!」
片桐はさらに手の力を強めた。
そのとき、背後から別の男の声がした。
「放してやってください。」聞き覚えのある声だ。
その声は。。。
「黒田さん!?」
「はい。。。あなたに温水器の修理を依頼したのは私です。」躊躇いがちに男は答えた。
「なぜ?。。。」片桐が最後まで言い切らぬうちに、黒田は続けた。
「こんな事をしたのか?ですね。まあ、家に上がって話を聞いてください。その前に、そろそろ息子の手を放してやってもらえませんかね?」
片桐は反射的に手を緩め、身構えた。
息子は、痛む右手をさすりながら、無言で父親の顔を恨めしそうに睨みつけている。
「やや。これは失礼。大丈夫かい?」片桐は警戒しながらも息子に声をかけた。
「はい。。。」先ほどの片桐の身のこなしに恐れをなしたのか、小さな声で呟くと家の中に入って行った。
どうやら、二人の男は本当にこの家の親子のようだ。
周囲の様子に警戒を続けながら、片桐も黒田の後に続き、玄関に足を踏み入れた。
玄関のすぐ左手に階段、右手に客間へのドア。なぜか黒田は客間へは案内せず、先に進む。
階段の奥にある廊下を進むと右手にドアが2つ並ぶ。おそらく浴室と便所であろう。
その廊下の突き当たり、ダイニングルームに女性が座っている。
女性は、もちろん先ほどの「テンカウント・リミット」に出てきた女性である。
女性の目はうつろではあるが、何かを伝えたそうに真っ直ぐ片桐に視線を据えている。
黒田は、女性の向かいに片桐を座らせ、自らは女性の隣に座った。
「先ほどは、試すような真似をして大変失礼しました。こちらは、既にお察しかと思いますが、私の家内です。」
片桐は、先を促すように小さく頷いた。
「実は、一週間ほど前から、家内の様子がおかしいのです。しきりに私の会社は危険だ。会社に行かないでくれ。私が命を狙われている。というのです。もちろん最初は、そんな突拍子もない話、信じませんでしたし、『馬鹿なことを言うな。疲れてるんだろう。今日はゆっくり休みなさい。』と言い残し出社しました。」
片桐は、「厄介なことに巻き込まれた?」と内心思いながらも辛抱強く話を聞いている。
「ところが、翌日妻が会社の人間の名前を挙げて、『この人が消される。』というのです。すると確かに妻が名前を挙げた社員が欠勤しているのです。
しかも、家に連絡をとった者が言うには、『夫はいつもどおり出勤しましたよ。何かあったんでしょうか?』と逆に質問を受けた。ということなのです。
さらには、消えた社員と妻とは面識が無いのに妻は彼の氏名をはっきりと口にした。なぜか知っているのです。
気味が悪くなり、その翌日は妻の体調を理由に会社を休んだのです。
そして、妻に『なぜそんなことが分かったんだ?』と問いただしたのですが、妻はそれには答えず、あなたの電話番号を言い、そこに電話をかけて家に呼ぶように懇願した。という訳です。」
片桐は、「でたらめではないか?」と疑ったが、話を続ける黒田の目が真剣そのものであることを否定することはできなかった。
黒田は話を続ける。
「そして、片桐さん。あなたが今日こちらに来るとき、大きな事故に遭遇しませんでしたか?」
片桐は驚いた。
つい先ほどの事故である。事故の状況はテレビでも、ラジオでもまだ伝えられていないはずだ。その状況を目の前の男は仔細漏らさず言い当てている。。。
「今申し上げた内容は、全て先ほど妻が言った内容です。そして、片桐さん。あなたが『本物』であるかどうか、念には念を入れてテストするように言ったのも妻なのです。」
「もっとも、こんなに力が強いとは聞いてなかったですがね。」背後から先ほどの息子の声がした。
「先ほどは。。。」と片桐が言うのを制し、息子が続ける。
「片桐さん。とおっしゃいましたね。母は、ここ数日何かに取り憑かれたかのように、父の会社が危険なことをしてる。父の命が危ない。と言い続けてるんです。こんなに取り乱した母を見るのは初めてです。しかも、そんな馬鹿げた話以外、一切しゃべらなくなってしまったんです。そして、『あなたが来たらすべてを話さなければ。。。』とうわごとのように繰り返してるんです。」
息子がここまで話し終えたところで、突然黒田の妻が口を開いた。
「片桐さん・・・」


第三話につづく

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by けんづる
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【リレー企画】 「テンカウント・リミット」第一話 [図書室]

小粒ではあるがレーシーな外装をまとったフィアット500アバルトが、暮れも押し詰まって混雑した12月の夕暮れの街を、ゆっくりと走っていた。
街中は、あちこちでクリスマスソングが流れ、イルミネーションが輝いている。
ホワイトボディにお決まりのレッドライン、フロントノーズには、これまたお決まりのサソリがその存在感をアピールしている。
そのアバルトのハンドルを握っているのは、片桐千里、32才、ガッチリした体格に、彫りの深い落ち着いた顔はなかなかの男前で、ちょっと物憂げな雰囲気を漂わせた渋い男である。
これで、探偵事務所でも開いていると小説の主人公にぴったりなのだが、残念な事に、彼の場合はそういうハードボイルドな職業ではない。
片桐がやっていてるのは、俗に言う「何でも屋」というやつで、部屋の掃除、留守番、猫の世話から調べ物まで、何でも引き受ける。
犬猫に限らず動物は何でもOKで、嫌いな食べ物もなく、お客様のニーズに合わせて臨機応変、何でもこなす。
ただ、唯一苦手なものがある。
ゴキブリだ。
これだけはどうにもならない。ヤクザに絡まれても切り抜ける自信はあるが、ゴキブリには全面降伏、不戦敗である。


片桐は今、電話で受けた依頼の打ち合わせをするために、郊外にある依頼主のところへ向かう途中だった。
信号待ちをしていると、片桐の頭の中に突然、フラッシュバックのようにある光景が流れ込んできた。
交差点だ。ツリーにイルミネーションが輝いている。黒塗りの大きな車が、青信号で動き始めた車の流れに突っ込んでくる。
片桐は慌てて交差点を見渡す。斜め向かいの交差点にあるケーキ屋の店先に、イルミネーションのついたクリスマスツリーを見つけた。
「あれか! あと5秒・・・間に合わない・・・」
そこで、前の信号が青になった。
片桐の渋い顔がさらに渋くなる。
片桐はあきらめて対向車線を見る。信号が青になったため、対向車線の先頭車が動き出す。
逆に、こちらの車線では、信号が青になったのに動き出さない片桐のアバルトに向けて、後続車がクラクションを鳴らす。
「パッパー!」
その瞬間だった。交差している道路の右側から、クラクションを鳴らしながら、もの凄い勢いで黒いセルシオが突っ込んできた。
「ガシャーン!!」
交差点を渡り始めていた先頭の軽自動車の左フェンダーを蹴散らして、蛇行しながら片桐の前を通過していく。
ヘッドライトの破片が交差点に飛び散って、パラパラと落ちてくる。
鼻先を蹴っ飛ばされた軽自動車は、くるりと一回転して交差点の真ん中に止まった。
左フロントは吹っ飛んでいるが、キャビンは大丈夫のようだ。エアバッグも開いている。
幸い歩行者はクラクションの音に気づいて避けたようで、被害はその軽自動車1台だけのようだ。
そこへ覆面パトカーがサイレンを鳴らしながらやってきた。
どうやら今のセルシオを追跡していたらしい。しかし、交差点がこの状態では、もう追跡はあきらめて事故処理にあたらなければならないだろう。


救急車がかけつけ、軽自動車の運転手を乗せて去っていくのを見届けた警官が、ようやく交差点の整理を始めた。
片桐は、約束の時間を気にして時計を見た。少し早めに出てきたので、もう少しは大丈夫のようだ。
そこへ、警官が近づいてくる。
仕方がないので、片桐はサイドウィンドウを降ろした。
警官がにこやかに頭を下げながら尋ねる。
「すみません。事故があった時、ここに止まってたんですよね?」
「はい。止まってました」
「事故の瞬間を見ましたか?」
「はい」
「では、すみませんが、一応住所氏名と連絡先を教えて頂けませんか。後ほど事故の状況確認をさせて頂くかもしれませんので・・・」
連絡先を警官に告げて、片桐は交差点を後にした。
「とりあえず、最小限の被害で収まったな・・・」
片桐は呟きながらほっと一息ついた。
非常に限定され、かつ全てがわかるわけではないが、片桐にはある種の予知能力のようなものがある。
自分の身に関わることで、特に自身に危険が及ぶ事について、事前にその光景が頭に浮かぶのだ。
ただし、困った事に、それは1秒ほどの間にフラッシュのように瞬く断片的な映像でしかないのと、片桐の頭に何かが浮かんでからそれが起こるまでに、きっかり10秒しかない。
つまりは、10秒間で何か対処をしないと、結局は何もしないのと同じになってしまう。
そのため、先ほどの事故のように、とりあえず自分の身は守れるが、事故までは防げない事が多い。
何にしても、直近の災難は避けられるが、それ以外に特に何かに役立つわけでもない。
片桐は、これを「テンカウント・リミット」と呼んでいる。
おかげで物心ついてから、緊急の決断は、10秒以内に行わなければならないという癖だけはついている。
そんなわけで、このプチ予知能力はこれまで幾度となく片桐を助けてきた。
先ほどのセルシオは何をやったんだろうと考えているうちに、依頼主のところに到着した。


依頼主の家は郊外の二階建てで、大きな庭とシャッター付きの車庫がついている豪邸だ。
しかし、都会の高級住宅のように高い塀に囲まれているわけではなく、一応門柱は立っているが、植え込みの間を縫って石畳風の車の通れる道が玄関先まで続いている。
片桐は、それに従って玄関脇までアバルトで乗り付けた。
玄関の呼び鈴を押した瞬間、またも「テンカウント・リミット」が発動した。
部屋の中に女が一人、男が二人いる。男の一人は手に、ナイフか包丁のようなものを持っているようだ。その刃物を持った男が、玄関に近づいてきてドアを開ける。その後の成り行きはわからないが、話がこじれでもしたのか、片岡が何かまずいことを口走るのか、刃物で襲われるようだ。
考えている暇はない、残り数秒だ。
片桐は、とりあえず玄関の左手にある掃き出し窓を避けて、一戸建ての右側に走り込み、温水器の裏側に隠れた。
次の瞬間、「ガチャリ」とドアが開いて、しばらくすると、
「おかしいな。誰もいないな」
と、声が聞こえる。
男は玄関周りを見回しているようだが、やがて諦めたのか、ドアの閉まる音がした。
「ふー・・・危ない危ない・・・何なんだ、この家は?」
温水器の陰で額に吹き出した汗をぬぐった途端、後で低い声がして背中に硬いものを感じた。
「動くな。静かにしろ」


第二話につづく

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by 猫目
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THノベルズ 「いつも通り」 [図書室]

「もう、何時も出しっぱなし、脱ぎっぱなしなんだから!」

絵梨が頬を膨らませる。

「ごめん、ごめん、気をつけるよ。」

「だめよ、何回言ったらわかるの?集めて洗濯するのは、あたしなんだから!」
絵梨が椅子の背に投げかけたワイシャツを手に、洗面所へむかう。

毎朝繰り返される会話を終え、リビングから出ていく絵梨の背を見つめた。
読みかけの新聞を開いたまま、視線をキッチンカウンターへ向ける。

「もうすぐ高校生だよ。」

語りかける先には、絵美子の笑顔がある。
しかしその笑顔は、言葉を発することはない。
あれから10年。黄緑色の木製の写真立てに入った、永遠の35歳の笑顔がそこにあった。

*****

「こんなにだらしないんじゃ、お嫁さんの来てもないわよ。」
「じゃあ、先に出るわね。戸締りよろしく。」

「行ってらっしゃい。」

土曜日だというのに、朝から練習だ。中学生活最後の大会ということで、気合が入っている。来月の地区大会では「応援に来るな」と言われた。私が行くと、負けるジンクスがあるそうだ。こちらとしては、ぜひ行きたいところだが後で恨まれても困る。

洗い物を済ませ(といっても食洗機に入れるだけだが)、ベランダで煙草に火をつける。煙を吐き出しながら、彼女のことを考えた…

*****

彼女とは取引先のゴルフコンペで知り合った。一年前の話だ。
取引先親会社の企画部長。その経歴には似合わず、非常に穏やかな物腰が印象的だった。

ゴルフというスポーツは、麻雀と同じくらいに人間性が出る。一日一緒にいれば、よいところも悪いところも一目瞭然というのが、持論だ。

10月末にしては穏やかな秋晴れの中、接待であることを忘れるほど楽しいコンペだった。

そして翌週から、彼女との交際がスタートした。

*****

絵梨の大会が終わった。約束通り試合場には足を運ばず、結果は彼女からのメールで知った。残念ながら準決勝で優勝チームとあたり、3位で終えたそうだ。

翌日の日曜日。親子二人の「お疲れさん会」では興奮冷めやらぬ絵梨が、準決勝での試合の様子を詳しく話してくれた。

「…だから、あの小手は絶対入っていたのよ!ちゃんと審判が見ていてくれたら、流れが変わったのに…。」

副将で出場した絵梨が大将戦に望みをつないだものの、結局本数差での敗戦が決まった。
優勝候補だった相手にぎりぎりの試合をしたことで、ある程度満足はしているようだ。

帰宅後、部屋着に着替えたリビングで、彼女に切り出した。

「…実は、絵梨に会ってほしい人がいる。」

一瞬表情を硬くした絵梨は、先を促した。

「どんな人なの?」

私が彼女との出会い、人となりを話す間、絵梨は黙って聞いていた。

「もう、プロポーズはしたの?」

「いや、まだだ。」

「どうして?私のせい?」
「私がいやだって言ったらどうするつもりだったの?」

私は心をこめて言った。
彼女へのプロポーズを待ったのは、絵梨とお母さんに報告してからという自分のけじめであること。絵梨が嫌だといった場合でも、プロポーズするつもりであること。もちろんその場合は、絵梨の気持ちが変わるまで待ってもらうつもりであること。

「まあ、もちろん断られる可能性もあるけどね。」
「でも、自分の気持ちは変わらない、それはお母さんを忘れたわけでも、絵梨の気持ちをないがしろにするものでもない。」

「…わかった。でも、あたしはその人を知らないの。それじゃ判断なんてできないわ。」
「まず、その人に会わせて。」

*****

翌週、私は彼女にプロポーズした。
彼女の条件はたったひとつ。絵梨に会ってから返事をするというものだった。

*****

彼女と絵梨はすぐに打ち解けたようだった。
自己紹介を終えてから、二人の表情がだんだんと柔らかくなっていくのがわかる。

「…じゃあ、ここでお返事させていただきます。絵梨さん、お父さんと結婚してもいい?」

「うちのお父さん、外ではおしゃれで通っているらしいけど、家ではワイシャツも脱ぎっぱなしですよ。そんなだらしない人で良いんですか?」
からかうように話す絵梨の表情は、明るい。

「ええ、それは結婚してから直してもらうわ。絵梨さんも協力してね。」

*****

バレンタインを翌週に控え、残業を終えて帰宅すると家の電気は消えていた。
高等部に進学の決まった絵梨は、もう寝ているらしい。

起こさないようにシャワーを浴び、ビールの栓を抜く。
4月の入学式のころには三人の生活が始まる。

「おっと、いけない。」

うっかりとランドリーボックスに入れてしまったワイシャツを手に、リビングに戻る。
いつも通りに、ワイシャツを椅子の背に掛ける。

絵梨の怒った顔を思い浮かべながら、部屋のドアに「おやすみ」と声をかけた。


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こんにちは、THです。

先週とは打って変わって、ほんわかホームドラマに挑戦してみました。
そろそろネタ切れです…、いやあ、困ったもんだ。

こうしてみると、週刊誌の連載って本当にすごいなと感心してしまいます。

先週もコメントありがとうございます。
そういえば「ドラ○もん」にも「もしもボックス」で似たような話があったのを
コメントを読んで思い出しました。
確かのび太が「みんな消えちゃえ!」って叫ぶんでしたね。あの時はドラ○もん
が助けてくれたんでしたっけ。

リレー企画も進行中です。お楽しみに。


さて、来週のネタ探し、ネタ探し。
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【寄贈本】車のある風景 キャリイ -ヌコ文庫- [図書室]

群馬県のとある小さな街の県道を、スズキキャリイがガタゴトと走っていた。
今時珍しく、タバコをふかしながら、ご機嫌で松田聖子の歌を口ずさんでキャリィを運転しているのは、菊池正宗という男である。
なんだか、先祖はどこかの武家だったのかというような名前であるが、単に父親が酒好きだっただけだ。
もっとも、正宗は全く酒が飲めない。
30台前半で、身長160cm、体重80kgという、縦よりも横の方が長いんじゃないかという、ビア樽体型であるが、可愛い顔をしている憎めない男である。
彼は公務員であるが、およそ公務員らしくない公務員で、自分の事を痴呆公務員と呼んでいるとても面白い男だ。
しかし、根はとても真面目で小心であり、この世で最も恐ろしいものは妻である。
今日は、東京にある群馬県の施設に出張だった。そのついでに、東京で気の合う仲間達と落ち合って、食事をしてカラオケで唄うのがもうひとつの目的だった。
真面目で小心者だが、こういうところはちゃっかりしている。
目的は無事に達せられ、関西弁でそっち系のコワイお兄さんかと思える丸坊主の友人が、大阪に帰るのを新幹線ホームまで見送って、その後、正宗自身もガンダム好きのケラケラとよく笑うアラサー女子や、見た目は凄く紳士なのに、面白いギャグを繰り出すお茶目なおじさんや、まだ二十代半ばで敬語を使えないいじられキャラの若者達に見送られて東京を後にした。
その帰り道、地元の駅からの道のりを、キャリイは快調に走っていた。
オールアルミ製 DOHC12バルブ 3気筒660cc 48馬力、パートタイム4WDで、5速ミッション車だ。
彼は、「車何乗ってるの?」と聞かれる度に、胸を張ってこう応える。
「2シーターの4WD、5速ミッション車!」
大抵の人は、「へー、凄いね」と応える。
そのあと、
「スポーツカー? 何て言う車?」
などと聞いたりもする。
「キャリイ」
「キャリイ? 聞いたことないね、あんまり。外車?」
「いや、日本車」
というような会話が続く。
「でも、二人乗りのスポーツカーって、前にちょっと乗せてもらったけど、荷物があんまり積めないよね」
「いや、ボクのはいっぱい積めるよ」
「そうなの?」
「うん」
「じゃ、デカイんだ、その車」
「いや、小さいけどね」
「ふーん・・・じゃ、今度乗せてよ」
「うん。また機会があったら」
いつも、そんな会話が交わされる。


このキャリイ、俗に言う「軽トラ」というやつである。そう、二人乗りの荷台のある軽トラックである。
この軽トラ、農作業用でも何でもない。そのため、ボディも荷台もピカピカで、アルミホイルまで履いている。これは単に正宗の趣味で、彼は軽トラが好きなのだ。
最近の軽トラは、昔と違いよく走る。
エンジンはオールアルミDOHC12バルブ 3気筒660cc 48馬力、パートタイム4WDで、当然ミッション車だ。
おまけに、今時の軽トラはなんと5速ミッションである。
とっぷりと日も暮れて、田舎道には車もなくなった。正宗は、農道に入ったところでいきなりギアを3速に落としてアクセルを踏み込んだ。
ジャ!っとタイヤが空転したが、すぐに4WDは地面を捉え、砂利を蹴散らしながら加速する。
コーナー手前でサイドブレーキを引いて、ハンドルを切る。
ガー!っとキャリイが横滑りしながらコーナーに飛び込んでいく。
「うひょー! ドリフトドリフト! 群馬のイニシャルDたぁオレのこったぁ!」
何がDなのかよくわからないが、叫びながら農道を突っ走って行く。
と、前方にぼんやりと灯りが見えた。
正宗は、キャリイのスピードを落として近づいていく。
ヘッドライトに浮かび上がって来たのは、原付とその横に立つ女性の姿だった。
原付のヘッドライトは、既に弱々しい光になっていた。
正宗は、原付の横に車を止めると、運転席から尋ねた。
「どうしたんですか?」
「よくわからないんですけど・・・これが動かなくなってしまって・・・」
女性は原付を指さしながら困惑した顔で言う。
「ははぁ。故障ですか。えーっと、どこまで行くんですか?」
女性は隣町の名前を口にした。
「そうですか。じゃ、30分もかからないんで、送っていきましょうか」
気のいい正宗はそう応える。相手が女性ということも少しは頭の片隅にあった。その反対側の隅には、彼の妻の顔が浮かんではいたのだが。
「いいんでしょか・・・」
「大丈夫です。丁度原付積めますしね、ボクの車」
正宗はにっこり笑う。
その可愛い笑顔につられて、女性も笑って頭を下げた。
「すみません。じゃぁお願いします」


荷台に原付を積み込んで、女性を助手席に乗せてキャリイは再び県道に向かった。
女性はまだ二十代半ばという感じで、ジーンズのミニスカートを履いている。
狭い軽トラの車内で、ミッションを切り替える度に、左手がそのミニスカートから伸びた太腿に触れそうになり、真面目な正宗はドキドキしながらキャリイを走らせた。
それが気になってミッションの方に目がいきそうになるが、そんなことをしているとあらぬ誤解を招きそうで、正宗はびっしょりと汗をかきながら運転に集中しようとしていた。
それでもなんとか無事隣町の彼女の家に到着し、原付を降ろして帰ろうとすると、
「ほんとにありがとうございました。後日きちんとお礼をさせて頂きますので、お名前、それに電話番号と住所を教えてください」
と言う。
「え? いや・・・別にいいんだけど・・・」
「いえ、そういうわけにはいきません! ぜひお願いします!」
「そうですか・・・では一応・・・」
押し切られる形で、言われるままに名前、住所と電話番号を差し出されたメモ用紙に書き込んで、正宗は隣町を後にした。
家に帰り着くと、妻の第一声は、
「遅かったのね」
だった。
正宗は、なんとなく目を合わせられず、
「え? うん。そうだっけ? あははは」
と意味もなく笑う。
妻のいぶかしげな視線が、着替えをする正宗の背中を痛いほどに刺したが、気づかないふりをした。
別に何も後ろめたいことはないはずなのだが・・・。


翌日の土曜日、正宗が遅い朝食をとって居間で寝転んでいると、電話が鳴った。
丁度後片付けを終えた妻が電話を取る。
妻は保留ボタンを押して、正宗に言った。
「あなたによ」
「え? ボク? 誰?」
「知らない女の人よ」
正宗は額から汗が噴き出すのを感じながら、電話に出た。
「も、もしもし・・・」
相手は予想通り、昨夜の女性だった。
「あ、はいはい。いえいえ。とんでもない。大したことはないですよ、はい。いえ、気を遣わないでください。いいんですよ、はい。わざわざすみません」
電話に向かってぺこぺこしながら、汗ばんだ手で受話器を置いた。
顔を上げると妻の視線があった。
「誰?」
「いや、昨夜ね、ちょっと困ってる人が居たので助けてあげたんだよ」
「そう」
「そうそう。単なる人助け」
「ふーん・・・」
またしても冷たい妻の視線を背中に受けながら、正宗は逃げるように表に出た。
家の前にはキャリイが停まっていた。
荷台を見ると、昨夜の原付のタイヤについていた泥が少し乾きかけて残っていた。
正宗はキョロキョロと周りを見回して、さりげなくその泥を払い落とした。
その後、何気なく運転席のドアをあけると、ふわりとオーデコロンの香りがした。
昨夜の女性がつけていたものだろう。
正宗は運転席のドアをいっぱいに開いたまま、慌てて助手席側にまわって、助手席のドアをばたばたと開閉した。
コロンの香りをなんとか車内から出すために。
「コロン・・・ヤバイヤバイ・・・」
「何がヤバイの?」
後で妻の声がした。
「え!? いや、その、どうもドアの調子が悪いんだよ・・・ほら、なんか音がするだろ?」
正宗はひたすらドアを開閉する。
「そう?」
「そうなんだよ。おかしいなぁ・・・」
「ん? なんか臭うわね・・・」
「え・・・」
突然妻が叫ぶ。
「あ!!」
ドアを動かしていた正宗の手が止まって、そのまま固まる。
背中を冷たい汗が流れ落ち、自分でも頬が痙攣しているのがわかった。
「コンロ! お昼の煮物火にかけっぱなしだった!」
妻はバタバタと台所へ駆けていった。
正宗はドアノブを持って固まったまま、妻の言葉が勝手に変換されて、頭の中をぐるぐると回り、あまりの緊張に意識を失いかけていた。
『コロン、コロン、コロン・・・』
別に、特に悪い事をしているわけではないのだが、なにしろこの男、真面目で小心者の上に、妻がこの世で一番恐いのだ。

おわり
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この物語はフィクションです。
実在する人物、団体等には一切関係ありません。

そんなわけで、これまた久しぶり、車のある風景裏麺版でーす。
この物語は、軽トラをこよなく愛する、群馬の痴呆公務員、しえすたに捧げます。(^_^)

あー、ついにネタが切れてしまった・・・もう来週のストックが有馬変・・・どうする猫?
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THノベルズ「満願成就(後編)」 [図書室]

「本来なら、このような形はとりたくなかったのですが、T様に断られたくなかったもので…。」
「実は、T様は109番目の候補者でした。T様より前の108人の方はお話も聞いていただけず、断られました。」

…このご時世、当然だろう。突然インターホンを鳴らしたって、変な宗教の勧誘としか思えない。俺だって、こんな状況じゃなかったら断っていた。

「ええ、ですからT様は大変ラッキーでした。」

…神社の使いがラッキーって。

「おかしいでしょうか?最近の神社は外国の方も多数お越しいただきますので、我々といたしましても言葉くらいは話せませんと…。」

「言葉に出さなくても、会話が成立するというのはわかりました。しかし頭の中をのぞかれるのは気分のいいもんじゃない。やめていただけませんか?」

「ああ、これは失礼いたしました。では、ここから考えを読むのをやめにいたします。」
「では、具体的な願い事について、お話を聞かせていただきたいのですが?」

「えっと、その前に確認したいのですが…」
と、まずは条件を確認することにした。

Sの説明によると、
・10月の出雲では、全国の神様が集まって「八百万委員会」が開催される。
・この場で、今年願い事をかなえる神社「本願社」が決められる。
・「本願社」では、その年の初詣客の中から1名の願い事をかなえる義務が生じる。
・ただし、人を生き返らせることはできない。
・他人を害するような願い事は却下される。
・人の心を変えるような願い事も却下される。

といったところが語られた。
最後の項目の意味がわからないので質問をすると、

「「誰それと両想いになりたい」という願い事があったとします。その方が結婚されていたり、誰かとお付き合いされていた場合、「他人を害する行為」に抵触しますので、お断りさせていただくことになります。」

なるほど、そういうことか。

「また、政権交代や支配者になるという行為も、お断りさせていただきます。基本的に、我々は神様ですから、人間世界に一定以上の関与はできませんし、先程の条件にも抵触します。人を生き返らせる行為も同様の考え方から却下させていただきます。」

「わかりました。」
と、言ってはみたものの、何を願えばいいのかさっぱり思いつかない。
普通であれば、「BIG 1等 6億円!」などというのだろうが、先日親戚の遺産が転がり込んできたので、金には困っていない。来月にはその資産家だった親戚の家に引っ越すことも決まっている。

それに、いくら神様の保証付きといったところで、こんな胡散臭い話に個人的な願いを言って、後でしっぺ返しなどされては迷惑だ。

じゃあ、ここは無難にまとめておくか。

「では、私の願い事を言います。」

「はい、よろしくお願いします。」と、Sは携帯電話を握りなおす。

「全世界の人類が、幸せになりますように。」

「え…。人の幸せは人それぞれですから難しいかと…。」

そうか…、じゃあ!
「不幸な人が一人もいなくなると言い換えてもいいです。」
いやあ、俺って格好良い!ノーベル平和賞だって夢じゃないぞ(笑)。

困った顔でSは携帯電話に向かって、説明している。と、
「大変申し訳ありませんが、その願いはお受けできないそうです。」

「え?なぜだ?良いことづくめじゃないか!神様だって不幸な人がいない方がいいはずだ!」

しばらくの間押し問答を続けた結果、Sが折れた。


「はい…。ええ、変える気はないそうです。はい、わかりました。」
「では、T様の願い事をかなえさせていただきます。しばらく様子をご覧ください。」

Sが携帯を閉じた瞬間。恐ろしいことが起きた。

東京SCのチームが突然スタジアムから消えた。忽然と。

次に東京SCのサポーター、続いて神奈川FCのメンバー、サポーター。
ニュース速報によると、同様のことが他のスタジアムでも起きている。
影響は他のスポーツや、芸能界でも発生しているようだ。

「ど、どういうことだ?」
チャンネルを変えると、ワイドショーのアナウンサーが突然消えた。
全国で同様に、人間が忽然と消えてしまう事件が発生しているらしい。

「ちょ、ちょっと説明してください!」

「T様の願い事の結果、「不幸を感じた人」が消えています。」

「ちょっと待って、だからって次々と消えていくなんて。」
「そんなこと、願っていないですよ!大体「人を害する願い事」は断られるんでしょ!」

「はい、でも消えた瞬間に「害された人」が存在しなくなりますので…。」

TVのモニターには、誰もいないスタジオが映っている。

「ある出来事は、Aさんには幸せですが、利害が反するBさんには不幸になります。」
「「不幸を感じた人」が消えれば、そのことで「不幸になった人」が発生します。したがって、その人が次に消えてしまいます。」
「つまり、一人の人間が消えることで「不幸を感じる人」が加速度的に増えていくことになります。」

俺は、呆然としてTVを見つめる。すでにTVは放送ができなくなってしまい、砂嵐が画面を覆っている。
あわてて窓に駆け寄ったが、町並みには誰一人として姿が見えない。

「願いは取り消す!も、元の世界に戻してくれ!」

「すみません、人を生き返らせることはできません。」

「なぜおれは消えないんだ!」

「T様には願いがかなったことを、確認していただかなければなりませんので。」

Sの携帯電話が鳴った。
「はい、Sです。ああ、そうですかわかりました。」

携帯電話を閉じたSは、私に向かって告げた。
「たった今、不幸な人は一人もいなくなりました。」

「え?」

「はい、今この瞬間この世に存在するのは、Tさんだけです。」
「では、私はこれで失礼させていただきます。」

この世でたった一人…。なんてことだ、こんな孤独には耐えられない…。

その瞬間、Tの姿が消えた。

「はい、今消えました。これで満願成就です。不幸な人はいなくなりました。」
「神様の言うことを聞かないから、こんなことになるんですよねぇ。」

Sは再び携帯電話を閉じ、誰もいない部屋に向かって深々とお辞儀すると部屋を後にした。

---------------------------------------------------------------------------


こんにちは、THです。
やっぱり、神様に逆らっちゃいけないですね。
今回の話は「どれにしようかな?神様の言うとおり」っていう子供のころの遊びから思い付いたものです。
子供の遊びって、「カゴメカゴメ」やら「はないちもんめ」とか、結構怖いものが多いですよね。

そんなこんなで、リレープロジェクトも始動しました。とはいえ、やり方につい
て話し始めただけですが…。詳細が決まったら、告知しますのでお楽しみに。
(って、そんなに風呂敷広げていいのか?)

さて、先週もコメントありがとうございました。

ちさとさん、
危ない危ない。危うく書き直さないといけないところでした(笑)。そんな終わり方もありですね。

けんずるさん
いやあ、自分のネタ(八百万委員会)で他の人に振るのはちょっと気がひけます。勝手にお使いいただく分には全くかまいませんが。

師匠
メールありがとうございます。よろしくお願いします。

あうさん
重い「コンダラ」、試練の道を。ってのもありましたね。「コンダラ」って何?というギャグもありましたっけ…

ダルちゃん、Zさんその他の方々
※ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。がんばります。

では、また来週。
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【寄贈本】回診 ~ある精神病棟にて~ -ヌコ文庫- [図書室]

「おっと、もうこんな時間か。そろそろいつもの回診時間だな」
壁の時計を見上げた桜木利之は、報告書を作成していたPCの前で呟いた。
「あら。ほんと。そろそろ来るわね」
隣で同じようにPCに向かっていた宮坂瑞恵がニヤニヤしながら言う。
すぐに部屋のドアが開いて、白衣を着た男が入って来て彼に声をかける。
「桜木君。そろそろ行こうか」
「はい。わかりました。教授」
桜木は、患者のカルテを持って部屋を出ると、教授と呼ばれた男の後に続いた。
磨き上げられたリノリウムの床をゆっくりと進む。時折、上履きが床と擦れる音が、「キュ」っと静かな廊下に響く。
ここはとある病院の精神病棟。様々な精神疾患を患った患者が、それぞれに過ごしている。
ここでは、どこかで精神のスイッチが違う回路につながってしまった患者を主に収容している。
色々な意味で普通とは違うが、特に他人に危害を加えたり、暴れたりする患者はいない。
彼らは少し普通の人と違っているだけで、うまく話を合わせていれば、彼らは至ってまともで温厚である。
この病院は、それぞれの患者の症状に合わせて、個別の環境を与えて対応してくれる、ちょっと変わった病院だ。
教授が一つ目の部屋のドアをノックする。
ドアを開けると、40才くらいのタンクトップを来た男がトレーニングマシンでひたすら体を動かしている。
「やぁ、やってるね、今日も」
教授がにこにこと笑いながら声をかける。
「はい、先生。今日も絶好調です!」
タンクトップの男は、教授に向かって力拳を作って白い歯を見せた。
「もうすぐだねぇ、オリンピック。頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます。今回も金メダルを狙います!」
「楽しみにしてるよ。じゃぁ、何か困った事があったら言ってくれ」
「そうですか・・・では、明後日予選なので、新しいタンクトップをもらえますか」
男は少し考えてから言った。
「わかった。明日届けさせるよ」
「お願いします」
男は頭を下げると、またトレーニングマシンに向かって一心にトレーニングを始めた。
教授と桜木はそんな男を後に部屋を出る。
男は、元陸上選手で、実際にオリンピックを目指していたのだが、あまりのプレッシャーにひたすらトレーニングに打ち込むあまり、四六時中トレーニングをしていないと不安になるという症状に襲われ入院した。
以来、彼はオリンピックを目指してここで合宿していると思い込んでいる。
タンクトップは彼のトレードマークで、必ず月に一回、15日に新しいタンクトップが欲しいと言う。
ここに来る直前、その月の17日に本番の予選があって、予選当日は新しいタンクトップで競技に参加するつもりで、16日にそれを買うつもりだったのだ。
毎月15日になると、彼はなぜかそれを思い出す。


廊下に出た二人は、次の部屋に進む。
部屋に入るがそこには誰もいない。
桜木が部屋の片側にあるドアを開ける。そこは浴室になっていて、50才くらいの白髪混じりの男が、水を張った浴槽に向かって釣り糸を垂れている。
浴室は狭いので、竿はルアー用の短いものだが、糸の先にはちゃんと針がついている。
男は、ここに来る前、趣味の釣りに出かけていた。
そこで、ちょっとお茶を飲もうとクーラーの竿かけに竿をかけてペットボトルのフタを開けた途端、とんでもない大物が食いついたのか、もの凄い勢いで竿が引かれ、クーラーごと海へと沈んでいったのだった。
その時慌ててクーラーを押さえようとして岩場で転び、頭を強く打って病院に運ばれた。
その後、意識が戻って最初に発した言葉が、「オレの竿は何処へ行った?」だった。
家族が彼の竿ケースを持ってくると、男は嬉しそうに竿を取り出し、以来、片時も竿を放さず、ずっと竿を握ったままだ。
そのままここに来たが、ここでも相変わらず竿は握ったままで、何を思ったか風呂に水を張って毎日釣り糸を垂れている。
「相変わらずここに居たのかい」
教授はまたにこにこと笑いながら男に声をかける。
「ああ、先生」
「どうだい今日は釣れそうかい?」
教授が尋ねると、男はニヤリと笑って嬉しそうに応える。
「またまた、先生・・・ここは風呂ですよ。釣れるわけないじゃないですか」
「ははは、そりゃそうだ」
どっちが狂っているのかよくわからない。
「はははは・・・」
二人の笑い声が浴室に響く。


次の部屋は書斎のようだ。
部屋の壁は書棚で埋め尽くされ、PCの置かれたデスクにも、分厚い本が何冊も積み上げられている。
積み上げられた本は、ほとんどが世界の政治・経済関係の書籍のようだ。
ただその横に、何故か涼宮ハルヒのDVDも並んでいる。
30才くらいの背の低い男が、スーツを着てそのPCの前に座り、一心不乱にキーボードを叩いている。
男は、インターネットで色々と政治情報を収集するうちに、自分を、世界の国々の極秘情報を探っている秘密エージェントであると思い込んでしまっている。おまけに、趣味だった涼宮ハルヒと国家機密が融合してしまい、涼宮ハルヒ情報が国家機密だと信じて疑わなくなっている。
「こんにちは。今日は何か新しい情報は見つかったかい?」
教授が声をかけると、白い肌の男は飛び上がるようにして椅子から降り立ち、直立不動の姿勢をとって言った。
「これはこれは、教授先生さま。本日は遠いところ私のような者のためにわざわざお越し頂き、恐縮の至りでございます」
「いやいや、ちょっとまた新しい情報を仕入れたくてね」
教授は相変わらず笑顔で応える。
「さようでございますか。では、極秘情報を一つお教えしましょう。ただし、これは絶対に他には漏らさないようにお願いします。何しろ、これが漏れると私の政治生命が危機にさらされますので」
「わかっているよ。約束しよう。で、どんな情報だい?」
教授が尋ねると、男は顔を寄せてささやくように言った。
「実はですね。今朝、某国のサーバから極秘に入手した情報によりますとですね、ロシアのステテコビッチ外務次官が、先日来日した際にですね、なんと! 極秘で涼宮ハルヒのDVDを入手したそうです!」
「おぉぉ、それは凄いね!」
「はい! しかもですね、このDVDは、KGBの特殊部隊が、我が国の情報基地である秋葉原に密かに潜入して手に入れたとのことです!」
「そうか。それは大変な情報を掴んだね。ヘタをするとKGBに狙われるかもしれないぞ。気をつけてくれたまえ。君のような優秀な人材を失うのは国家的損失だからね」
「いえいえいえいえ、滅相もございません。微力ではありますが、私のような若輩者が国家のために少しでもお役に立てれば光栄に存じます」
「よろしく頼むよ。ではまた」
二人は男の書斎を後にした。


その後もいくつかの部屋を巡り、二人は元の部屋に戻ってきた。
「よし。今日も回診は無事に終了したな。桜木君。じゃぁ、いつものように報告書の作成は頼むよ」
「はい、教授。お疲れ様でした」
「じゃあまた明日」
教授は片手を上げて笑顔で部屋を出て行った。
「ふー。終わった終わった」
桜木が椅子に腰を下ろすと、瑞恵がコーヒーカップを彼の机に置いた。
「お疲れ様」
「あぁ、ありがとう」
「どうだった、教授は」
「あぁ、今日もいつものとおりさ」
「毎日の事だけど、ほんとに感心するわ、あの教授には」
瑞恵は茶目っ気たっぷりの笑顔で言う。
「そうだなぁ。誰が見たって何の変哲もない定期回診だもんなぁ。しかも、ちゃんとそれぞれの患者の事をきっちりと把握してる。大したもんだよ。これを見た人に本当の事を言っても誰も信じないよな」
そう、実は先ほどの教授は、自分がこの病院の先生だと思い込んでいる患者で、毎日かかさず決まった時間になると、定期回診をしにここへやって来るのだった。
ここはとある精神病棟。ここには様々な患者がいる。

おわり

-----------------------------

この物語はフィクションです。
実在する人物、団体等には一切関係ありません。

ということで、こちらも久しぶりのショートショートでーす。
決して裏の実態ではありません。(ぇ
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THノベルズ「満願成就(前編 [図書室]

ピンポーン

チャイムの音が聞こえた。ドアを開けるとダークスーツの男が一人。
何かのセールスマンだろうか?

「はい、わたくしN大社から参りました、Sと申します。本日はT様の初詣に関し、お話があって伺いました。」

確かに今年の初詣はN大社だった…。特に住所など書いた覚えもないが?
まあ、どうせ暇だし話を聞いてみるのも面白いかもしれない。
来月には引っ越しだし、あとくされもない。

「はあ、まあ、どうぞ。」

「それでは失礼いたします。」
Sと名乗る男は、腰を深々と折ると一歩中へ入ってきた。

「N大社というと…。確かに初詣に参拝させていただきましたが、本日はどういったご用件ですか?」

「まずは、こうやって話を聞いていただけることについて、お礼申し上げます。最近はどうも警戒されてしまって、門前払いが多くて…。」
「実は、N大社は今年の「本願社」に指定されています。」

「「本願社?」」

「はい、「本願社」というのは、毎年10月に出雲大社で行われる「八百万委員会」で決定される「願いをかなえる神社」です。つまり、今年の初詣でN大社に参詣いただいた中から一人の願いを一つだけかなえるということです。」

「ということは、私の初詣の願いを?」

「いえ、あれから11カ月もたっていますので、状況の変化もあるかと思います。そこで私がT様の最新の願いを伺おうというわけです。」

…頭がおかしいんじゃないか?何だ「八百万委員会」って。
するとSは私の考えを読みとったかのように、続けた。

「ご不信は当然のことです。」
「ではこうしましょう、最新の願いをお伺いする前に私の言葉が本当だと証明してみます。」

「証明?」

「はい、そうですね…。T様は神奈川FC(フットボールクラブ)のファンでらっしゃいますね?」
「現在の状況は後半30分、2-0で東京SC(サッカークラブ)のリード。間違いありませんね?」

テレビをつけると、その通りだった。
神奈川FCはライバルである東京SCと優勝をかけて争っている。

「後、15分ですが、これから神奈川FCを勝たせましょう。」

「はあ?」
確かにこの試合に勝てば、神奈川FCはリーグ優勝に大きく前進する。

「では、ちょっと失礼します。」

Sはかばんから携帯電話を取り出すと、どこかへかけ始めた。

「はい、Sです。ええ、やっとお話を聞いていただけました。はい、神奈川FCです。よろしくお願いします…。」

電話が終わると、残り10分。もう逆転は無理だろう…。

Sはまた俺の考えを読みとったように続けた。
「いえ、委員長が約束してくれました。証明のためなので、やってくれるそうです。」

テレビ画面を見ると、東京SCのDF(ディフェンダー)がボールを回している。GK(ゴールキーパー)に向かってボールを戻したその時、何かに足を取られ転ぶGK。ボールはその横を転々とゴールに向かって転がって行った…。一点差、残り9分。

次のプレーでは、神奈川FCのMF(ミッドフィルダー)がパスをカット。
ゴールに向かって突進する。
熱狂する神奈川スタジアム。握りしめた拳に汗がにじむ。

ペナルティエリアに入った瞬間、後ろから東京SCの選手がタックル。
足を抱えて蹲るMF。主審はペナルティキックを指示。
ゴールが決まり同点、残り4分。

盛り上がる両チームのサポーター。怒号と歓声がスタジアムに響く。

残り1分、最後のプレーだ。
勢いは神奈川FCが勝っている、ゴール前の混戦からシュート。
相手のDFにあたったボールは、ゴールマウスの中に転がって行った。
オウンゴールで逆転。

長い笛が響き、3-2で逆転勝利。

呆けたように、画面に見入る俺に後ろからSの声が聞こえてきた。
「信用していただけましたか?」


-----------------------------------------------------------------------


こんにちは、THです。
猫師匠に触発されたわけではないのですが、SFです。しかも前後篇。

ナビスコ杯の決勝に途中まで酷似していますが、またただの偶然です。
Tさんのもとには、Sさんが来なかったようです。

ということで、Tさんはどんな願い事をするのでしょうか?また、その結果は?
私の書く話ですから、ひねくれていることだけは請け合います(笑)。

では、また来週!

P.S.猫師匠
リレー小説の件、前向きに検討しませんか?
ここではネタばれになってしまうので、三串のメッセージとかでやり取りするのはいかがでしょう?裏降(最近入ってないですが)のアドレスにメールをいただいても結構です。
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【寄贈本】車のある風景 MGA -ヌコ文庫- [図書室]

車というのは不思議なものである。興味のない人には単なる移動の道具でしかないが、ある人には自分の地位や生活水準を誇示するものであったり、また、こよなくこれを愛する男には、むしゃぶりつきたいほどいい女性にも優るものらしい。
坂崎健一がそれに出会ったのは、2年前の夏のことだった。夏になると調子が悪い中古のオンボロ車を、行きつけの小さな修理工場に持ち込んだ時のことであった。工場の片隅に見なれない車が止まっていた。
オープンカーであるが、見たこともない型だ。相当古い車のようだ。
車といったが、それはもうはっきり言って車とは呼べないほどの代物であった。塗装はいたるところひび割れて、すっかり艶をなくし、あちこちに錆が浮いている。内装もかなりボロボロであった。
だが、健一にはとても美しい車に思えた。
健一はしばらくその流れるような美しいボディラインに見とれていた。
「どうだい、それ?」
修理工場の社長に声をかけられて、ようやく我に返った。
「え? どうって・・・」
「MGAっていうんだが、英国製の1950年代のオープンカーだ。いいスタイルだろ。このまま廃車になる運命だったんだが、ちょっと惜しくて引き取ってきたんだ。まぁ、動くようにするには相当かかるけどな」
普通のサラリーマンで、独身ではあるが、特に金銭的に余裕があるわけでもなく、その上、今まで車に特別愛着を感じていたわけでもない健一だったが、なぜかこの車には言葉では言い表せない魅力があった。
「これ、やってみるよ」
「え? 冗談だよ。かなりの覚悟がいるぜ、こいつをレストアするにゃ。あんたにゃちょっと無理じゃないか? MGBならまだ中古ショップにも動くのが出てるけど、さすがにMGAは見ない」
冗談半分で持ちかけた話に、健一があっさり乗ってきたので、社長は慌てて弁解した。
「いや、やれそうな気がする。面倒はみてくれるんだろう?」
「え、ああ。そりゃ協力はするけど・・・」
健一の真剣な表情に圧されて、社長も頷く。
こうして、健一と社長のMGAのレストア作業が始まった。それはもう大変な作業であった。既に50年を経たMGAは、相当な傷みようだった。
まずは車を分解することから二人の仕事ははじまった。エンジン細部からビス1本に至るまで、入念な作業が続く。代用品でまかなえないものは、専門のパーツ・ショップへ。それでも手に入らないものは、インターネットを使って直接英国から取り寄せた。
ただ幸いな事に、昔のエンジンは構造が簡単な上に、案外丈夫にできている。オーバーホールしてそれなりに手入れをしてやると、想像していたよりも短い時間で動くようになった。
外装も板金から始まり再塗装を行って、それでも1年以上の歳月とそれなりの費用を費やして、ついにMGAは蘇った。
以来、MGAはもう健一の一部のようになっていた。健一にはもうMGAのない生活は考えられなかった。
そうしてMGAが蘇ってから1年。磨き上げられたMGAは今日も健一を乗せて走っていた。4気筒OHV 1489ccのエンジンは、気持ちのよいエグゾースト・ノートを響かせて、50年代のリズムを刻んでいる。
行きつけの喫茶店に車を止めて、ドアを入る。あゆみが不機嫌な横顔を見せて、ソーダに突っ込んだストローをくわえていた。
「ごめん、待った? またキャブが詰まってしまって、手がかかるったらありゃしない」
言いながらも健一の顔はほころんでいる。そんな健一を見て、あゆみはあきれた顔で言った。
「いつもいつもMG、MGって、あなた私とMGとどっちが大事なの!?」
この2年間に何人もの女性から何度も何度も聞かされた言葉が、再びあゆみの口を出て繰り返された。
どっちが大事と言われても、MGAには既に相当な金をつぎ込んでいる。あゆみにはその十分の一も注いでいない。それに、車と女を比べるのは間違っている。だが、それをあゆみに説明するのは、一生かかっても無理なことは健一にもよくわかっていた。
健一が黙っているので、あゆみが口を開いた。
「答えられないようね。いいわ。じゃあもうこれっきりにしましょう」
あゆみは捨て台詞をはいて喫茶店を出て行った。
「やれやれ、またか。まぁしょうがない。俺にはMGAがいるし」
女達の反応は、いつも決っておんなじだ。最初はMGAにつられてやってくる。滅多に見ることはない上に、何しろ目立つ。人々の羨望の眼差しを一身に受けて、真っ赤なオープンカーの助手席に座るのは、女達にとってこの上ない喜びなのであろう。
だが、それも長くは続かない。最初は、健一のMGAに費やす時間と費用にあきれ、やがてそれが嫉妬に変わり、最後は決ってこういう結末を向かえる。
そんなわけで、健一の前にはまだMGAを越える女性は現れない。しかし、健一は別に悔やんではいなかった。いや、悔やむどころか、MGAに感謝していた。彼の人生で、これほど充実した2年間はなかった。全てに損得勘定がつきまとう女性には、到底理解できない男の我が儘だ。
健一はコーヒーを飲み干して、再びMGAのシートに収まる。久しぶりに峠を走りたくなった。MGAは初夏の風を切って、ゆっくりと峠を目指した。


オープンカーというのは、これまた不思議な車である。本来車は案外プライベートだ。乗っている人間の顔さえ走っていればはっきり確認できない。女性など皆美人に見えてしまう。夜目遠目傘の内などと言うが、車もぜひこれに加えて欲しいものである。
しかし、その車に屋根がないというだけで、想像を越える解放感である。風をまともに感じてしまうことと、外と遮蔽されていないという緊張感だけで、スピードだって全く感じ方が変わってしまう。
形としては車だが、感覚としては単車に近い。ましてMGAなどという日頃見なれない車だ。ほとんどの人が振り返って見る。プライベートは微塵もないのだ。彼女と二人で乗っていても、それは町中を二人で歩いているのと同じで、いや、単に二人で歩いているというより、コスプレでもして歩いているようなもので、車に乗っているという安心感はないのだ。
MGAの心地よいスピード感を体全体で受け止めながら、健一はコーナーを次々とクリアしていった。
峠の展望台の駐車場にMGAを止め、自動販売機でペットボトルを買い求めていると、駐車場の隅に見なれない車が止まっているのを見付けた。健一は、その車に向かった。トライアンフTR4のようだ。MGAに乗るようになってから、健一は古い車に興味を持つようになり、同年代の車について情報を集めていた。トライアンフTR4もその中に出てきたMGAと近い60年代の車である。これも見事にレストアされていた。健一のMGAに優るとも劣らない素晴らしい出来映えだ。辺りを見回したが、持主は見あたらなかった。
しばらく眺めていたが、しかたなくMGAに戻った。健一が戻ってくると、MGAを覗き込んでいる女性がいた。
「やぁ、気に入ってもらえたかな、この車」
健一が声をかけると、女性は顔をあげた。
「素敵な車ね」
もう何度となく聞いたお決りの台詞が、女性の口から洩れた。健一は『またか』と思い苦笑した。いずれ結末は見えている。もうしばらくは一人でいるつもりだった。だが、次に女性の口を出た言葉は、今までに経験したことのないパターンだった。
「MGAね。とても見事にレストアされてるわ。 でも、相当注ぎ込んでるわね、あなたも」
健一は目を見張った。まさか女性の口からそんな台詞が聞けるとは考えてもいなかったので、素直に驚いてしまった。
「MGAってフューエル・フィルターがないから、よくキャブが詰まるでしょう?」
健一はますます驚いて、言葉をなくした。
「ふふ、女だてらにどうしてそんなこと知ってるのかって顔ね。私ね、あれに乗ってるの」
彼女が指さした先には、さっきのトライアンフTR4が止まっていた。
「そうか・・・」
健一は納得して深く頷いた。そこでようやく女性の顔をじっくりと見た。なかなかの美人だ。ふと、初めてMGAを見た時の懐かしい感覚が蘇って来るのをおぼえた。同時に、彼女の締まったウェストとミニスカートからすらりと伸びた足が、MGAのボディラインより少し魅力的に見えたのは気のせいだったのだろうか・・・。

-------------------------

そんなわけで、今度こそ?(^^;;)、ノーマルバージョンの車のある風景かな。
今回はちょっとクラシックに。

とはいえ・・・そろそろネタ切れ・・・どないする?(笑)
どこぞで上がってた、リレー連載でもやるか?(^_^)
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THノベルズ「真夜中の儀式」 [図書室]

真夜中の高速道路。
ここからしばらくの間は、オービスがない。週末に出没する覆面パトカーも、木曜日の夜には出てこない。

アクセルをぐっと踏み込む。

V12の咆哮が、シートを通して背骨に響いてくる。

V6やV8のライトスポーツカーなら、風景を楽しむのもよいだろうが、スーパースポーツは純粋なスピードを楽しむためのものだ。
夜の闇が一切の不純物を覆い隠し、五感はエンジン音とスピード以外を拒絶する。

平日の夜にこんなことができるのは、この商売の特権だ。いや、この車が持てるのも、だ。

*****

自分と同じ名前の車があると知ったのは、中学生のころだ。
物置を整理していたら、「スーパーカー」と書いた箱が出てきた。中には今ではクラシックカーと呼んでもおかしくない、いろいろな外車の写真。

黄ばんだクリアフォルダの中には、ひときわ大きなパンダ目の車の写真が入っていた。牛のマークで検索すると、すぐに「ランボルギーニ・ミウラ」という車だと分かった。

きっと親父も、自分と同じ名前の車に憧れていたんだろう。

*****

ホストとしてNo.1を張るには、なかなか苦労が絶えない。
水商売とさげすむ奴らもいるが、需要と供給の関係はどんな商売だって一緒だ。それを求めるやつらがいる限り、俺たちは客の望むサービスを、そう、夢を提供する。

ポルシェの(ピー)野郎は虫が好かないが、枕営業をしないところは共感できる。俺たちが売るものは夢とサービスであって、体ではない。

夢にしろ、サービスにしろ形のないものだ、人はそんな形のないものにこそ憧れ、言い値を払う。
この車と同じだ。
俺がこの車に払ったものは、歴史とロマンとスピードの対価だ。
安くはないが、惜しくはない。

中には客の女を馬鹿にするホストもいるが、客だって馬鹿ではない。そんな気持ちがばれないわけは無い。所詮No.1になれず、去っていくだけだ。本物だけが評価され、残っていく。
この車のように。
景気が悪くなって売り上げが落ちるやつらは、それだけの価値しか提供できていないということだ。泣き言は許されない。

*****

ランボルギーニは、伝統的に闘牛関連の名前がつけられている。

そう、俺たちは競走馬ではない。闘う牛だ。

闘技場にでるその日のために角をため、体を鍛える。人の言いなりではなく、自分の道を自分で切り開く。マタドールをつき殺すことだってある。常に真剣勝負だ。

アドレナリンが駆け巡る。

アクセルをさらに踏み込む。

流れていく水銀灯が、細い筋になる。

ジワリ、と手に汗がにじむ。

*****

裾野ICはすぐそこだ。ETCのゲートが開くとすぐにUターンして、上り車線に戻る。

そろそろ夜が明ける。ゆっくりと空が明るさを増していく。
残り1時間のドライブ。

厚木を過ぎたころ、日が昇ってきた。
*****

海老名のSAで車を止め、朝日を浴びながら、煙草を吸う。
ここからの帰り道は、クールダウンだ。

もう一度大きく煙草を吸いこむと、ゆっくりと吐き出す。
煙草を吸い殻入れに投げ込み、コーヒーカップを握りつぶす。


俺は負けない。たとえ相手がだれであっても。


そして、週に一度の儀式が終わりを告げる。


朝日に輝くビルが見えてきた、あそこは俺の町だ。

----------------------------------------------------------------------

こんにちは、THです。
今回は闘牛を取り上げてみました。

ストーリーというよりも、小景といった感じになりました。看板に偽りありですね。
ポルシェはユーモア、フェラーリはドラマ、ランボルギーニは戦いというのが小生のイメージです。
そのせいか、ストーリーが紡ぎにくかったですね。ボクサーが一番ぴったりくるのですが、もう使っちゃったし…

さて、先週もたくさんのコメントありがとうございます。

猫師匠&けんづるさん
ほめすぎですよ(照)。なんか格好良いこと(フレーズ)書かなきゃって、ビビっちゃいます。あと、リレーの件面白そうですね。何かネタありますか?私も考えてみます。

いちごさん
女性性と男性性ですか、余り意識したことはないですね。女性作家の本や、(妹がいるせいで)少女漫画なんかの蓄積でしょうか?でも一つの事象の裏表っていうのはいろいろ考えています。最初の連載もそういう場面がありましたし、これからもあると思います。
雪の音ですか、きれいな表現ですね。雪についても書いてみたのですが、「海雪(ジェロ)」になってしまいましたので、没にしました(笑)。

けえちゃん
久々登場&素敵な詩をありがとうございます。けえちゃんのおかげで、こうして発表の場をいただけました。これからもよろしくね。

Old Yさん
「駅に向かう」って書いてあるじゃないですか(く、苦しい)。今日のところは、勘弁してやる!(池野めだか風に)

ちさとさん、あうさん
すみません、その歌知りませんでした。勉強しておきます(泣)

こげさん
いかなくちゃ、いい曲ですよね。仲良しで、羨ましいっす。

Zん
リクエストですか?旅行の(笑)。

まおたん、あわわさん
雨音って、意外に違いますよ。是非、日常の非日常を探してみましょう。きっと、散歩したくなりますよ。

CSの語りさん
気が小さいので、優しくお願いします(泣)。

では来週もよろしくお願いします。
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【寄贈本】車のある風景 アテンザ -ヌコ文庫- [図書室]

窓から流れ込んでくる風は、気づけばいつの間にか冷たく感じられるようになっていた。晴れ渡った空は、青く高い。もうすっかり秋だった。ほんの少し前まで生ぬるく感じられた風も、今はもう思い出せないほどだ。修二の運転するアテンザは高速道路を快調に進んでいた。
この車、日本ではあまり人気がないのか、見かける事は少ないが、アウトバーンの国ドイツなど、ヨーロッパでは人気が高く、沢山の賞を取っているだけのことはあって、市街地では多少固めに感じられるサスペンションも、高速道路では水を得た魚のように、快適な乗りごこちを見せる。
修二は、特に車好きというわけでもないが、他の日本車とは少し違う個性的なスタイルと、しっかりした運転感覚が気に入ってアテンザを買った。
今日はハンドルを握る手が汗ばんでくるほど気持ちのよい天気であった。
左手に川が見える。河川敷の公園では陽気につられた家族連れやアベックが、それぞれの休日を満喫している。
修二も例にもれず、朝からこうして車をとばしているのは、恋人の涼子に会うためだった。だが、今日は単なるデートではなく、修二にとっては特別な日であった。今日、涼子は二十の誕生日を迎える。実は2週間前、修二はデートの別れ際に涼子にプロポーズしたのであった。
ただ、つきあい始めてまだ1年足らずの上に、修二は25才だが涼子がまだ二十歳になっていないこともあり、両親とも相談して、次のデートまでの2週間でじっくり考えてみて欲しいと涼子に伝えた。
涼子は、修二のところからは高速道路を使っても2時間ほどかかる、隣県の最北端にあった。
そのため、デートできるのは精々月に2回くらいのものなので、その時も2週間後に会う約束をして別れたのだが、その週が始まってから修二は激しく後悔した。
年の差もあり、涼子には大人の余裕も見せるべく、2週間と言ったが、この2週間の長かったことといったらなかった。仕事も手につかないほどで、何度メールで問い直そうと思ったことか。しかし、それではあまりに大人げないので、そこはぐっと我慢して、ようやく今日を迎えたのだ。
間もなく高速出口の標識が見えた。
「さてと、もうすぐだ」
修二はつぶやきながら自分の手のひらを見て、どうやら思っているより緊張しているようだと気づいた。
直進安定性抜群のアテンザは、普段は高速道路でもハンドルには軽く手を添えるだけで良いのだが、今日はハンドルを強く握りしめていたようで、手のひらが汗ばんでいた。
「はは、緊張してるな、俺」
緊張をほぐそうと一人で笑ってみたが、うまく笑顔を作れないのが分かった。
涼子には良い返事をもらえる自信はあった。彼女もきっと同じ思いのはずだ。しかし、もちろん一抹の不安もある。
料金所を抜けて国道に降りる。信号を左に折れて、いつもの橋を渡る。この1年通いなれたコースだ。もう体が道順を覚えている。市道に出てしばらく走ると新幹線のガードをくぐる。左に側道を入ると涼子の家が見えた。
見なれた屋根とガレージが見える。が、そのガレージに修二の目は釘付けになった。
いつもなら、そこに止まっているはずの、修二のと同じ黄色のアテンザがなくなっていた。修二はいやな予感がした。アテンザは二人の出合のきっかけとなった思いでの車である。プロポーズの返事を聞こうという日に、その想い出の車がないことに、修二はとても不安を覚えた。
涼子と出会った1年前のことが、修二の頭をよぎった。


修二は絵を見るのが好きだった。
その日も大好きな印象派の絵画展が開かれている美術館に足を運んでいた。
休日のため、駐車場は結構混雑していた。それでも午前中のためか、幾つかは空きスペースがあった。修二はそのスペースの一つに車を止めた。たまたまそこは2台分のスペースがあり、修二が降り支度を始めたとき、隣に車が入ってきた。
しかし、その車は馴れないらしく何度も切り返しては前進と後進を繰り返していた。やむなく修二は隣に車がおさまるのを運転席で待った。が、あっと思った瞬間『ゴツン』と鈍い音がして、軽い衝撃が伝わってきた。
「おいおい、冗談だろー」
ウインドウを開けて覗くと、2台の車のバンパーが仲良くキスしていた。
修二は車を降りた。相手の車からも、慌てて女性が降りる。修二が口を開く前に、
「ごめんなさい! ちゃんと直しますから!」
その女性は深々と頭を下げた。出鼻をくじかれた修二は言葉に詰まった。
「え、いや、まぁいいんだけど・・・」
顔を上げた女性はとても愛らしかった。まだ幼さの残る顔に、長い髪を後ろで止めて困ったように眉を寄せた目はくるくると動く。スキニーのジーンズがよく似合っている。
「君ここに来たの?」
修二は美術館を指さした。
「え? ええ」
「じゃあ取り敢えず入ろうか。せっかく来たのに見ずに帰るのももったいないし。幸い傷もバンパー程度で大したこともなさそうだしね」
「はい、すみません」
修二はバンパーを調べながら言った。
「そういえばこれ、アテンザ、しかもおんなじ色だ。珍しいね、若い女の子が乗ってるのは」
「あら、そういえば。このスタイルが気に入って。それと、私セダンが好きなんです、実は。変わってるでしょ。普通、女の子は、もっと可愛い小さな車が好きなのに」
「そうなんだ。正確に言うと、これはスポーツなので5ドアハッチなんだけどね。でも、まぁ、そんなことはさておき、いい車だよ、アテンザは。俺も好きなんだ、この車」
あまり見かけない車だけに、たまに同じ車を見ると妙に親しみを覚えてしまう。修二はなんとなくその女性にも親しみを感じた。
「俺、北山修二」
「あ、北川涼子です」
「北川・・・山と川か。ははは・・・」
「ふふふ・・・」
二人は顔を見合わせて笑った。
その後、二人は存分に絵画鑑賞を楽しんで美術館を後にしたが、すっかり意気投合してお互い加害者と被害者であったことを喜んだ。
こうして二人の交際が始まった。


そうして今日、ついにプロポーズの返事を聞こうというその日に、その縁を取り持ったアテンザが見あたらないのだ。
修二は涼子の家の前に車を止めた。もう一度ガレージを見る。
「車検はまだ先のはずだ。またどこかぶつけて修理にでも出したのか・・・?」
修二は車を降りるのをためらっていた。車の中でぼんやりと考え込んでいると、玄関を開けて涼子が出てきた。
「おはよう。どうしたの、ぼんやりして?」
涼子はいつもの笑顔であった。
「え? ああ、いや、なんでもないけど」
「そう、じゃあ行きましょうか」
「ああ」
助手席に涼子を乗せてアテンザは走り出した。今日は二人が出会った思い出の美術館に行く予定だ。そして、そこでプロポーズの返事を聞くはずだったのだが・・・。
無言のまま景色だけが窓の外を流れていた。修二はまだ車のことを聞こうか聞くまいか迷っていた。今日が特別な日だけに、自分でもおかしいくらいこだわっていた。
そうして、とうとう車は美術館の駐車場に止まった。修二は汗ばんだ手でハンドルを握ったまま前を向いていた。
「緊張してるの?」
「ああ、うん・・・」
うながされて修二は車を降りる。
「わかったわ。見終わってからと思ってたけど、その様子じゃここで返事した方が良さそうね」
車を降りた涼子がルーフ越しに修二の方を向く。
「え、いや、そうじゃなくて、車・・・アテンザがなかっただろ、カーポートに・・・」
「え?」
予想していたのと違う話しだったので、涼子は大きな目を開いた。
「アテンザ・・・実は、下取りに出そうと思ってディーラーにあずけてるの」
「・・・」
修二は言葉を失った。
だが、涼子はどうやら修二の態度を理解しかねているようだった。
「どうして、どうして売ってしまうんだ。二人の想い出の車なのに・・・」
力のない声で修二はつぶやいてうつむく。
「ああ、それで・・・。ゴメンね、まだ返事してないから言えなくて。だって、一家に同じ車は2台いらないでしょう。ふふふ」
「一家に2台同じ車・・・えっ!?」
修二が驚いて顔を上げると、秋風に運ばれて、色づいた落ち葉がひらひらと踊るルーフの向こうに、涼子の悪戯っぽい笑顔があった。
「さぁ、行きましょう。ルノアールが待ってるわ」
涼子が気持ちよさそうに両手を挙げて、伸びをしながら言う。
「うん」
修二は少し照れながら涼子の後を追った。
振り返ると、アテンザも色づいた落ち葉に化粧されて、少し照れているように見えた。

おわり

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こちらも久しぶり、普通の車のある風景シリーズです。
にしても、裏麺シリーズが個性的すぎて、ノーマルバージョンはちょっと物足りん感じ?(笑)
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